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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

一念無明 ネットフリックスにもうあるのでおどろいた。

ネットフリックスで私が勧めらるのは中華映画。

だって、少ないトーさん3本しか見とらんからな。

トーさんが観たいのが強くて他にたくさんあるのを観てない。するとリコメンドに、中国で旧正月に公開されてた、流浪地球があって、え、日本は公開ないのかとおどろいた。

とりあえずマイページに置いている。

そして、オススメされてる中に、今現在、日本でどこかそこかで公開されてる、誰がための日々 一念無明があった。MAD WORLDってかいてあったので、最初気がついてなかった。

英語とのタイトルはそうなんだ。

 

一念無明は仏教の言葉のようだ。ちょっと前に監督さんのインタビューとかが新聞にあったりしたので見てた。そう言う作品しかも今映画館でやってるものもネットフリックスにはあるんだね。

誰がための日々をみてみた。

おわったとき、暗い気持ちだけにはならなかった。主人公が大丈夫だよっていうかんじだったので。

思えば最初から彼だけがまともに思えた。

彼がぷちんと途切れる時は、もう限界の時で、だれでもそうなるのかと思って見ていた。

医療の無機質さを描いてるところも私はとても腑に落ちた気がした。

うちの子は言えば主治医が精神科になるだろう。

しかしいろんな先生がいて、ベルトコンベアにのってきた材料をちょちょいと仕事して、次に次に流してるようなせんせいもいるのかもしれないと感じて、結局自分次第自分主体の思いで生きたらいいんだ。っておもうことがおおい。

もちろんなんかソウルのある先生もいるけど当たればそれはご縁良縁ってかんじがする。エリックさんがお医者さんがたんたんチャチャチャッとろくにみないで薬だけ出すのに、はて?って表情をする。なんか共感しちゃうシーン。

親の会に行っても同様、そこで発散できる人はそれを利用すればいいと思うけど、お父さん役のエリック・チャンの演技が実に良くて、腑に落ちない感じもありつつ、自分の思いを吐露している様子がとてもすきだ。自分に重なってしまってね。

 

どうやったら家族になれるのか迷ってる様子は重かったけど、私もどうやったら家族になれるのかといつも思う。

うちの人にも思ったことを言って喧嘩になったりしてることもあるけど、家族になるにはどうやったらいい?は時に誰しもふりかかることだね。

一人一人の追い詰められた思いは、まともなことだとおもうので。

ただ追い詰められた人が壊れてしまうまで行かないようなセーフティネットがあればいいなといつも願っている。

友達やら家族。そこがちょっとたいへんなひとなら、公的なもの。でもまあ世の中がそう言う温かみのあるような世界になったらもっといい。

 

主人公はショーン・ユーさん。彼の演技もいいのだ。
彼はそんな不安定なのだろうか。そんなふうに私は思わない。なんでだろう。

まともだから疲れてしまうと言う意味では、まともなのが普通じゃないのかもしれない。

深く考えないで生きる方が、生きやすいから、困ってる人には構わない。

劏房(トンフォン)に暮らす人も、宗教を信じてる人も、考えるのをやめることにしたのだと思う。自分の想像の範囲で思ったことを言って、でもそのことが自分たちが困った時ときのなんの助けにもならないような世の中になっていることに気がついてない。

目の前の人を大事にするのは大変難しい。

でもそれをトライしようとする世の中であればという映画なのかな、とおもったのでした。

主人公のお母さんが死んだシーンは、はっきりとは描写されてない。主人公が殺したのだろうけど、彼の状況を思うとなんとも切ない思いだ。

人の命は大事なものなのだから、これは許されないことではある。そこは強くフォーカスしないのだけど、かいま見えるように進む。
これはどう考えて生きるかを考えよう、どんな世の中にしたいのか考えようと、映画を通して見る人にいざなっているかのように思った。

 

わたしは子育てでいろんな人に助けてもらっている。

公的なサービスも利用することがある。そして、学校にもお世話になってとても嬉しいこともあれば、願うことがあまりピンとしてもらえずうなだれることもある。

だからその意味ではどこかに外注してるのだけど、お父さんの役の人の 人生すべては外注できない。て言うのを言うシーンがすごいすきだ。

 

生きるって、自分主体だもの。

 


映画館で見るものと思ってたのがネットフリックスで見れるのでちょっと驚いてしまった。

サイトの解説のところが私は読めてよかった。

 

劏房(トンフォン)である。住宅費が高い香港らしいこの住居は、古い建物の中に多く見られる。ひとつのフロアをいくつかに区切って作った部屋に、2段ベッドと生活用品が置いてある。本作の部屋は共同のトイレとシャワーで、劇中には「住めば都。窓があって眺めがいい。テーブルをどかせば広くなって、(その広さは自分の足で)2歩だ」というエリック・ツァンのセリフがあるが、そのセリフからも狭さが分る。 

 

原題のタイトル「一念無明」は、「大乗起信論」の注釈書の中にある、中国仏教では有名な一節「一念無明生三細、境界為縁長六粗(一たび無明を念ずれば三細生じ、境界は縁と為りて六粗を長ず)」から取られており、真理に暗いと余計な煩悩に悩まされる、というような意味である。本来、人は希望の中で歩み、生きているはずである。

 

ところで、エリックさんとショーンさんだからやっぱりおもいだすのは無間道になってしまう。個人的には2が好きなので余計そうなってしまう。

無間道も仏教の言葉だったなあ。とか余計なことも思ってしまう。

エリックさんの演技は本当に心にくるものがあるのだ。

どうしようもない、ふりきりそうなとき、ポストのところで泣いている様子がすきだ。

そして、出て行けと言ってるトンフォンの人たちの理由を聞いて、侮辱はしないでほしいというところのあたりの切り替わってる感じがたまらない。

二人の話も聞きたいなと思った。

 

公式サイト監督さんのおはなし

ディレクターズ・ノート
この映画はとにかく香港の人々に見てほしい作品です。
私たちはどのように問題と向き合い、目覚め、自分の置かれている状況を変えることで自分に自信を持ち、そして変化を探し求めていくのでしょうか。その問題はもう腐りきっていたとしても、そして逃げることにずっと甘んじていたとしても、私たち自身の自由というものを意識するだけで、できる選択、修復できる関係、変えられる事は、往往にして思いのほか多くあるのです。
あなたがそう願いさえすれば、私たちは毎日新しい自分を作り上げることができるのです。
私たちはこの作品に登場する父と子であり、またその周囲の人々でもあります。
板で仕切られた部屋の隣人たちも、同じく抑圧された人々です。それなのに団結して立ち上がる訳でもなく、自然と自分より弱い者を抑圧していきます。皆、悪人ではありません。しかし自分では意識しないままに、ある時はその弱さから、ある時は無知から、私たちはしばしば暴力的な傾向に走ってしまいます。これは至って普通にある悪で、私たちの社会を反映しているものです。
人間は本来、善でも悪でもありません。ただ生活のなかで敏感に、批判的な目を持ちながら一つ一つ選んでいくことしかできません。恐る恐る学びながら、より良い人間になっていくのです。 

 

お若いのになー。。。

わたしなんぞ、子供と向き合ってやっと監督さんぐらいのことが考えられるようになった感じです。次はどんな作品を取られるのでしょうね。(とっておられるかもな公開されないことが多いので日本では)