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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

最近の訓練

最近の訓練にてたまたま同じような会話になったので記録のため書いておこう。

 

言語の先生のところにおいて 年末

年末の言語の訓練はちょっと乗っていけなくて遊びに走る傾向があった。
(しかし学校では65分課題をやり通したり、また、きのうも55分トータル集中で課題をしていたらしい。とはいってもおとつい新学期始まって一回目は、あそびにはしって用意した半分もできなかった。先生的にはTHE新学期スタートらしいかんじでした。人間らしいなあ。)

その日は言語的な勉強はせんせいはあきらめて、空間認知の勉強とかにきりかえてやってくれた。

 

帰りにがっこうでやっている課題の作成のことでアドバイスをもらったのが、数などを量で認識させるような創意工夫をしないと、呪文の羅列みたいな覚え方になるのはもったえないという意見でした。

 

文字もいまは言葉の塊が作れるというより、音と音の表記という理解でひらがなだけがはいっているかんじです。

そこに息吹を吹き込みつつ音を聞かせてる感じです。

 

時計もしかり。アナログ表示の正時と半はわかったぽいけどそれは概念的な理解といよりアイコンの理解というか・・・

そこをまた概念に落としていくのをやっていかないといけないです。

 

そういうかんじのところで、うちの子の仲間のよくあるあるが、数字の羅列で数は覚えれないという現象らしく、そこをすごく注意深くなるように言われました。

なるほど。

 

そして年明けに作業の先生。彼女もなんかすごくわかってなそうな息子にどうにかして意味を伝える努力をしていてくれるのだね。

まず息子が拾ってきた草のくきをつかって、長さを測ったり自分の足より長い短いの概念入れをしたり、息子がその草をむしりだしたのでそこで手首の支えやら指の活動を見てくれてました。

これずっと時間やっても面白いと思うけどーせんせいのよういしてることもやろかといって、ねんど(リハビリ用の指の先の力をかなり使わないとほじくりだせないねんど)をつかって宝石探し、お箸でビーズを掴む、そのあとは紙コップに書いている数のビーズを入れる。などをしてくれてました。

 

彼女にも数字の羅列をおしえたらだめだよと釘を刺されました。

ほんとそうなっちゃう子がおおいから。とのこと。

 

 

まあ一度はそういう轍を踏んでいくのもあるのかもしれない。

本人がわかってる以上のことを教えようとしたら知識の上滑りみたいなのが起こって、でもあとで意味がついてくるような・・・

 

できたら慌てず少しずつ理解させるのが一番正解。というところなのだね。

 

 

彼女たちの話を反芻して、、、

自分の中で決めたことをやっぱり貫こう。ずっとこれだけをがんばろうとおもってるのだもん。と、改めて強く思った。

 

どんなことも、意味とつなげて概念を視覚化していこうぞ!

 

そこがうちの子にしてあげることで、本人にとり楽になる処方だとおもうのでした。それが大黒柱のようなきがしてます。

 

アドバイスの先生たちと次会えるのはそれぞれ3末。年末年始からの次3末。

なんというか・・・日常的にこういう状況を自分であくせく作らなくてもスタンダードになってほしいなと思う。

一人一人ちょっとずつアドバイスって変わるような気がするので・・・

 

世の中なりだと思うので、今の現状が世の中なりの精一杯のいい環境なのだろうけど、学ぶ権利の保障というのが、大多数のためのもので効力の出ない子たちも賢い子にもうちのような子にもあるので、ある程度オーダーメイドなかんじの教育の姿勢も未来にはあるといいね。

 

大人数の教室で一人の先生が頑張り、レディメードにあわせて子供達も頑張っていくことで、学力の結果がでてきたのでこうなってるのだろうけど、学ぶ幸せみたいな境地を求めるようなスタイルもあってもバチは当たらん気がしてしまいます。

 

できる行動をしよ。