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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

くりすますー

クリスマスが近づいてますなー。私んちはクリスチャンでないし、季節感のファン活動みたいな感じでの魂がないクリスマス。

といっても、ツリー出してなかったな。まあサンタさんが来る頃に出そう。日にちを数える練習になるものね。

(いまだ日付とかに無頓着だすなあ。繋がりがないというのか・・・どやっておしえていこうかねえ。そこがわかる知性にまだ達していない。というのか、日付がわかるメリットが彼にあまりないのかな今の段階だと。)

 

おじいちゃんたちや、わたしの兄弟とかは、息子さんに、贈り物をしてあげたいと、いってくれたりしております。

それは喜ぶね。息子さん。

息子に伝えたいものごと(日付、季節)のためになる、雰囲気や、モチベーションはつかわせてもらおう。

 

 

 

さて、私のクリスマスプレゼント子供の頃、はやりおもちゃはもらえず、文房具や本、木のおもちゃ、ブロックとかだった。とおもってたのだけど、体の活動ものはもらっていたのをおもいだしてきました。

 

そういうものを欲しいと頼んだら誕生日クリスマス以外でももらっていたかもしれない。

 

ホッピングももっていたし、フラフープも持っていた。テニスボールにゴム紐がついたおもしとラケットも欲しいといったら買ってくれて、壁打ち以外の遊びもできるようにしてもらっていたなとおもいだした。

 

ローラーコースターは断られた記憶です。。。校区外にローラーコースター場があったけど、なんか不良があつまってるとかで、そんなのもあったのかもしれん。

かつあげされた、かつあげされそうになった、という学校の友達もいたし・・・

 

かつあげ、って、もう強盗やんと、今は冷静に思う。

ちょっと、やんちゃして、とかのレベルでない範疇ね。
しかも小学生からとるなよー。

 

そんなところにいくなという心配もあったのか、ほかのことをして遊びーと、親に言われた記憶だ。

 

それ以外に、聞いてもらえなかったのは、犬が欲しい猫が欲しいとか、ハムスターが欲しいだった。

団地は生き物が伸び伸び暮らせないからだめ。という理由だった。(そもそも団地はペット禁止。禁止だけど飼っている人はいたけど)

 

仮に飼える住居に暮らしていたとしても、多分きいてもらえなかったはず。

責任を持って、生き物の健康を維持しないだろうと読まれていたんだろう。散歩も真面目にしないだろうと判断されていただろう。

なによりもお別れの辛さを、両親は何度か番犬達との別れで子供の頃から味わってきたのがあり、そこも堪えていたかららしい。

 

ふふ、馬とかどうだろう。長生きみたいよ。。。

馬がのんびり草を食べて走れる場所がいると思うけど。そして仲間もいるとおもうけど、それが実現できるならいいバディかもしれんね。毅然に馬に立ち向かう叡智と行動ができるなら。あ。。。おのずと資格がなくなっていってる!

 

親がペットを断ったのは、家の事情だけでなく、ペット達の暮らしも思うからのお断りだったから、頭ごなしに断られたのではないから今はよく何が言いたいのかわかる。

 

それと、なんかフィジカルアクトのおもちゃは、そう拒絶されていなかったんだな、が最近、思い出された。。。

 

クリスマスが楽しいのは子供達。

先日、近所の子が遊ぼうと声をかけてくれ(退屈な時に思い出してくれるのは嬉しいことだよね。うちの子は友達につきあうところに気が回ってないので、わざわざ家までさそいに来てくれても、断ったりもあるので、親からすると、もったえない)夫もちょっとまざって、遊んだ時に、クリスマスプレゼントは何をもらうのか聞いたら、みんないろんなものを言ってたけどほんまにもらえるのかな?と言って笑っていた。

わくわくしてるかんじがします。

 

父はもうかなりのお年寄り。父が孫である私の息子のクリスマスプレゼントは、私に委託してなんかいいものを渡してあげて欲しいとお金をあづかった。

我が家イズムは、たぶんはやりおもちゃを、はずしたい家だったので、(うちは商業主義アンチみたいなのがすごい両親の思想にあったので・・・テレビすらなくした家だから。といってもそれは父の思想だと思われる。母は途中私たちがテレビを勝ち取って以降、彼女もやしきたかじんにどハマりしていたのです。ラジオをずっときいてたところからの、テレビでのたかじんさんなんだけどね。多分ラジオはきいてたはず。)

 

わての親にも思いがある。彼のそんな魂を尊重して何をあげようかなと思索。

 

とはいっても、もらったけど いらんわ つかわないわ みたいなのも避けたい。

 

ちょっと前に テニスする!とバトミントンのラケットとゴムボールで遊んでいたので、ああ、ええかもなーと自分が小さい頃(といっても3年生ぐらいだったのかと思います)あそんでいた、おもしとゴム紐がついたボール、ラケットにしようとおもいつきました。夫の分も買った。夫も、運動不足だから。。。

 

父は若い頃テニス部だったらしいので、きっとそれを贈ったと言ったら、渡したお金の使い道を安心してくれそうな気がします。

 

対して、夫の両親は、息子をいつもおもちゃ屋さんに連れて行ってくれて、本人が欲しいというものを買ってくれます。

それもなんか ◯  やなとおもいます。

それによって ゲームが来たり、部屋が片付かないような大きなおもちゃが来たりして、私自身は、あまりうれしくないのだけど、それはそれ。それも私の正義だし、欲しいものをもらえるのも息子の正義だし、ほしいものをあげるじいばあも正義だなあとおもいます。

 

 

そういえば、本も料理の本とか、お菓子を作る本とかは欲しいといったら買ってくれた。それ見ながら作るのも、だいたいさせてくれていた。お金かかることもあったと思うしある時はお金がないので材料は家であるもので工夫してください見たいな時もあったから、できる範囲でそういうのしてくれていたとおもうけど、よくよく考えるとあれは勉強みたいなものだから、親はいろんな願いを込めてお世話してくれてたのだなと、あらためておもった。

 

まあ大成してないけど。。。やりがいなかっただろうなあ育児。

でもわたしはいま、幸せに生きてくれたらいいなとか、自分を好きでいれたらいなとか、頑張ろうと思うことに出会えたらいいなあとか、そんななので、親もきっと、私が気持ちや体が元気でいたらそれでいいとおもってたりするのかもしれない。