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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

香港迷

香港すきね。。。

なんでだかわからない。

何度か行くたびに、興味が尽きなかったのだ。そんな何回も行ってない。

 

最初は雲南に行くために寄った。トランジットです。でも鮮烈な印象だった。

1日ぐらいしかいなかったのだけどね、恐る恐る街を歩いたというのか・・・まあ親から聞く香港のイメージがミステリアスだからだね。

返還前ですね。空港も啓徳空港だったし。キャセイで香港に入り昆明まではドラゴンエアー。

一人っきりだったしね。用心しすぎるぐらい用心して歩いていたけど、あれは今思うと、気持ち用心し過ぎだわ。


宿泊は九龍側。たぶん、九龍城寨(ピンポイントなエリア)と九龍城(まるっとその一帯)がごっちゃになっていたという。。。

 

 

 

雲南諸々の帰りに買ったチケットは、バンコクから日本に帰るけど次回バンコクへ香港トランジットでよれるチケットにした。チベットへの計画を立てたからでする。

 

その次はチベットに行くために寄った。これもトランジット。
香港に行くためというより、ビザを取るため。

当時ビザを香港でとると長く取れるというのがあった・・・半年とかだったかな。そのために行ったのだけど、その時が面白かった。
香港の後、タイにいって、そこからネパールに入ってネパールからチベットに向かったのだが、実際、その時香港でビザをとっていた私だけ、同時期にネパールからチベットに入った方々より長く滞在ができる条件が整っていたので、羨ましがられた(延長が当時チベットにいるとできなかったとかそんなで一度違う省に出たら延長ができるとかそんなだった。わかってたからそうしたの。お金も日にちもそこに別にエネルギーかけてそうしたのだから、羨ましがられたけど、偶然だったんじゃなくてそうなるのわかってたのでそうしたの。すごく行きたい場所だし少しでも長くいたかったので。融通がそれぐらいチベット内では効かないってことだったのね。今ってどんな感じなのかしら・・・)

数日のトランジット、退屈するかなあ。と思っていたら、ラッキーだったのだけど、泊まった宿に現地通のひとがいた。

地元の人が面白いことしてる公園とか、地元の人が朝からカラオケしてるヤムチャとか、夜も地元の人たちがシャコをたべてる海鮮の屋台とか、啓徳空港の発着がよく見える景色のいいところ(バスを乗り継いで行ったのだが自分では無理だわ)とか、毎日なんか面白い場所につれていってくれたのだった。あの頃はバスとかも難しかった印象だわーオクトパスカードもないし、小銭はたくさん作って持っていた思い出。

ビザの発行に数日かかると聞いたので、バンコクへのフライトに数日の余裕を持たせていた。
だから暇つぶしをしないとならなかったし、相手をしてくれた人も同じようなビザを待つ理由での数日の暇な時間があり、そういう出会いがあったからだ。自分で探検して行ったというよりも、金魚の糞みたいについてあるいて、驚嘆驚嘆だった。

面白かったのは普通の暮らしの人が息抜きしたりする場所とか食べる場所だった。そんな風景に自分がぽつんといて周りの人たちを見ていると面白い。

匂いや音も色々印象的だった。トランジットのつもりが随分と楽しくなってしまいまた来たいと思った。

 

次に行った時は、バンコクにマッサージを習いに行くためのついでに寄ったのだ。チベットなどの帰りに、またもやバンコクで1年オープンでバンコクから日本に帰るチケットを往復で買うとき次のバンコクに行くのに、香港でトランジットしていいチケットにしていた。

もう香港に遊びに行く気満々だった。

その時は南Y島にすんでいるともだちのうちにやっかいになったのも数日。
だいたい九龍側にいることがほとんどだったのが今までの滞在だったのだけど、この時、香港にも離島があるのかにきがつかされた。いい島だったしね。

南Y島から香港島に友達が通勤していたので、香港島もうろうろとした。九龍とまたちがうかんじ。どこにいても面白かった。

友達の家以外では、ゲストハウスは九龍のを選んだ。

友達もいろんな場所に連れて行ってくれた。友達が仕事中散歩をする私には、こんなところに行ったらとかおしえてくれたり。
携帯してもちあるくモビリティがその頃はノートパソコン。当時高価だった。すごい効果だったよノートパソコンね。
そんなの持って旅行はできない私だった。甲斐性がないし、心配も多い。
しかしながら、ネットの文化がでてきていたので、パソコンのあるパシフィックコーヒーとかに途中寄って、友達からのメールを自分のホットメールのアカウントで読んで、だいたい何時ぐらいに終わると思うとか、そんな調整をしながら帰り待ち合わせをして船に乗り南Y島に帰っていた。このときもまだ啓徳空港だったのかとおもう・・・

 

そこからしばらく行くこともなかったのだが・・・

息子が生まれる前に、夫と香港にいった。その時もやっぱりおもしろかった。香港島にとまっていたのだけど、湾仔、蘭桂坊、上環と泊まって、夫も私もお気に入りになったのは上環でした。

最初3泊ほど、湾仔。ちょっと遠くにたびに出てまた香港に戻って来たのちの10日ほど。その間に上環、その後もうすこしいることにしたのだが上環の宿がいっぱいだったんで、蘭桂坊に1日か2日とまってから、上環にもどってきた。

夫は上環にもどったら、なんかやっぱり上環が好きやなあといっていた。ぶらぶらするのが楽しかったらしい。

上環のちょっと街外れた感じが好きだったのかもしれない。

やっていたのはどうってことないこと、朝飲茶に行く。いろんなところにいった。高いところやすいところ、清潔なところ、あまり清潔感のないところ。帰ってゆっくりトイレしてから(すんません)1日どこか観光、夕方帰ってちょっと休んでから、晩御飯どっか食べる。のようなこと。

上環の駅の近くの飲茶屋さんが一番気に入ったのもあったかもね。夫が上環がきにいったのは。それからはいろんな飲茶屋さんに行くのはやめて、最後の3日ほどは必ずその飲茶屋さんに行くようになった。寶湖金宴でした。

 

オクトパスカードがあれば色々思いついたようにうごけるのもよかった。たくさん小銭持って旅行して眼力を光らせてバスを見てた時とはちがう。ワイファイがつかえるのもすごいよかった。パシフィックコーヒーにはいってええっと・・・とかいってたころとはちがうなあ。

香港島を特に夫は気に入ったので、香港島を色々と散歩したのも新鮮だった。私も新鮮だった。だいぶ前に行った香港は九龍がベースキャンプだったので。

とにかく毎日散歩してただけ。といういいご身分。仕事してないときだったもので。。。帰りのチケットを買った香港の旅行会社の人に「自由だな!」と日本語で言われた。

 

そんな我々も今息子がいるので、気ままには旅できない。しかも息子は変わった子だ。

 

今朝も夫は上環がやっぱりすきやわといってました。

 

 

そんな香港、山竹その後、わたしがきになってしまうニュースは、シグナルが3になって平常運転と意識が向いても、インフラは被災してるから日常のスピードに戻れないので、仕事に行くのに困ってる人たちの叫びでした。

特に東鐵綫について困ってる感が目につきました。

東鐵綫・・・どのへんだろ。。。ああ。そうなのかあ

香港鉄路 東鐵線 East Rail

地図見たら、郊外というかそんな感じのイメージ。そしてシェンジェンにつながる線路なのだね。なるほど。。。

中心で働く大きな割合の人力がこの路線にあるのかもしれないですね。
平常だと交通も至極便利な感じがしますし、香港って。

 

気象の判断とまたちがうのよね。気象の判断はシグナル3で正しいと思うのだけど・・・

日本はこのあたりですら、みんなの共通判断がもっともっとアバウトなだろうので、天候のことで仕事がどうなるか問題はもっと、環境が悪い会社多いのだろうと思うのだけど・・・。

わたしがシグナルのシステムに関心した香港でも、電車やバスの機能がどの地域も同じように復活していないので、えらい目にあう人たちはいたようでした。

共通判断で、しんどくなることもあるのだ。そりゃそうだ。

 

MTR自身があげてるしゃしんもすごいね。駅にいる人の数。

会社に行かないといけないこれだけの人たちを移送できる状況ではなかったということだものね。

 

 

夜には普通にもどった???のようです。

 

交通の人たちも大変。

ただだけど動けない・・・お金たくさん積んだら運ぶよ運ぶよみたいなのもあったり・・・

 

 

返工or停工・・・・????

 

 

深センの方々の通勤の様子も大変。。。

 

はたらきにいかな仕事戻らな。。。の悲哀のパロディ。

新作映画風に。

 

トレイラーもあるのね。なんか凝っている。風刺やねほんま。意見の表現力。いいとおもう。主張にも遊び心。

仕事に行った皆さんが主演俳優のような・・・

このトレイラーの訳をまた公開してくれていたので、見て余計にそうかそうかと思ってしまった。(追記 2018.9.19

 

 

 

 

 

なんかまるでいっぱい映画あるみたい!そして今朝。平常とはとても偉大だ。

 

 

 

こういった風刺が、ああおもしろかった。だけでなく次のみんなのより良い暮らしにつながるための発信であってほしい。

 

 

香港らしい風景。外国の私にとっては世界遺産みたいなものです。

 

 

 

 

 

お片づけ部隊もごくろうさま。。。

 こんなのもあったりとか

 ひともいろいろ。

 

 

自分が見てる、香港の話題に台風一過後、中秋のはなしがちらほらとでてきました。少しずつ日常に戻って行くのだろうと思います。

 

大変なのはお片づけだと思います。

香港のニュースで、死傷者のような話題をあまりみつけなかったのは、やっぱり備えをしっかりしてやりすごしたのもあるのかもしれません。情報で、できる動きをするしかないので、備えがあったからちょっとマシだったとか、備えがあったので家にいて被災しなかったとかあるのかもしれません。

 

交通が動かなかった時の様子で圧巻だったもの。バスよね???わー普段は見れない景色なのかもしれないね。車庫に並んでます。

整然と。