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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

学校の先生たち

学校の先生たちが、息子の様子について教えてくれます。

 

おしえてあげたい!ってかんじできてくれる。こんなことがわたしだけで生きていてあるだろうか。ありがとうねえ息子さん。

 

もちろんこまったなあってこともあって話しかけてくれる日もあるだろう・・・

 

昨日は去年の担任さんが、野菜の苗を頑張って植えていた話をしてくれた。

今朝ね、朝着いてすぐに、わざわざ教室から離れた場所に行くのでついていくと、苗を見せてくれたんだ。。。ああ、先生が一生懸命伝えてくれたことがあったので、伏線が繋がった。そうかそうか。

 

今日は、先生たちがシャッフルして別の教室で先生をするというのを道徳の時間にしたみたいなのだけど(おもしろいね、狙いはなんだろう)自分の教室に違う教室の先生がいて、隣の教室に自分の先生がいるから、教室に入ってから ん? となりでていき、確かめ、また入ってから、でていき、それから自分の担任の先生をみつけて、そこに入り先生を引っ張って自分の教室に戻そうとしたらしい。

せんせいまちがえてるーってかんじかな。先生は面白がってくれた。

そして嬉しいなと思ったと言ってくれた。

 

みんなのように状況は理解してないからおかしいけど、、、僕のクラスの先生はこの人。僕のクラスはここ。そこはわかっていて、主体的にそこにいるんだね。たぶんね。私は嬉しかったそれを聞いて。

すごくすごくうれしかったね。

 

 

息子の障害がなおるとはおもってない。

でも、彼が学校でみんなの様子を見たりして、自分なりに感じて考えて行動したり、おかしいことをおかしいよと直であらわしてもらったり、彼なりに頑張ったのがわかったら、みんながそうか、がんばってる。とおもってくれたり。

しょうがない、助けようとおもったり。

人は、どんなに頑張っても変われないことについて責めたりはしない。そこに対して努力していたり、できることを拡げて行ってると、おつりがついてきだす。

のかな?と概ね思う。

 

 

でもいろんな親御さんがいるので、なぜここにきているのか!っていう感じの人も多いだろう。

人にこんなに迷惑かけてまでいることなのだろうか?という視点。

 

そういう子はそういう子が行く場所にいったほうが、そこでいい教育も受けれるのになあ。って単純に思ってくれてるだけの人もいるだろう。

いい教育、たしかに。

その場合は、ただ世の中にいるっていう・・・。。。ってのからは外れちゃうんだよね。分かれてるべきということになるのよ。。。

 

 

でもわたしは、世の中にただいるのを望んだ・・・

一見意味ないようで、いることで、障害のある子もそうでない子も、ほんとのことだけ。ただそれだけ。で、いいんじゃない?っていう話をしてくれた親御さんもいて、びっくりした。当事者じゃない人がそういうことって、すごく珍しいから・・・

 

 

いろんな人がいるこの世の中。

 

せんせいたち、きょうもありがとう!息子をみていてくれて。サポートしていてくれて。

 

そして明日には障害者になる人もいます。

体の障害のひとについてはみんな想像がわかるけど・・・

脳機能の人もいます。自分もそうなるかも知れない・・・いろんな人がいていいという状況が自然になることは自分と自分の家族の幸せかも知れない・・・とか夢想して・・・

 

どうにも自分でできない人を責めたり糾弾したりって・・・?っていう意識がある世の中を夢想し・・・

 

ですね。。。わたしはね。。。