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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

レスパイト

小室さん引退するんだね。の話題が友達から出た時に、西原理恵子さんを思い出して・・・

 


やっぱり最近読んだこのインタビューが蘇って来た。

 

病院とか、専門家に任せて家族は後方支援。お花を持って行って、愛してるよって言うのが役割です。ちょっとお金はかかっちゃうけど、親の介護も自分では絶対にやっちゃいけない。

 本人が病院に行きたがらないっていう悩みも多いと思うんですが、まずは家族が病院に行って医学的な知識を持つんです。そうすれば、対処の仕方も習えるし、サイエンスで見ることができる。健康な家族でも30年間、同じネタで喧嘩するんだから、病気だとまず無理なんですよ。全員が沈没しちゃう前に、夫だけを切り離して、子どもを連れて逃げないといけないこともある。そこに道徳とかモラルが入ってくると、逃げ遅れちゃうんです。私も逃げ遅れました。医師とか専門家、家族会に相談して、絶対に自分で判断しない。こらえない。すぐに逃げることですね。 

 

〜中略〜

 

家族はわかりあってなきゃいけないっていうのが、みんなを苦しめている。家族は仲良くなくて良いし、娘も健康で元気でいてくれればそれが1番なので。

 

〜中略〜

 

食事中に「あんたたちがいるから離婚しないんだよ」って言う、母親のグチね。言うなよそんなこと、何で人のせいにしてるんだよ、しかも飯食ってる最中に。このままじゃ私は「夫に殴られて、子どもを殴る親」になっちゃう。洗濯機を回しながらずっと怒っているお母さんになっちゃう。そういうのが嫌でしたね。笑いにあふれた家庭っていうとちょっと上品な言い方ですが、それは恐怖からきていましたね。子どもを叱って殴ってるお母さんになりたくない一心で。強迫観念ですよね。

 

家族は大事だけど、家族のいないところでふらふらになったり、家族に対してあたったりブツブツいったりしながら一緒にいるより、お互い健康に生きれること。。。

モラルではかれないものって、家族が病気だったり、障害者のいる家族にはよくあることのきがする。

助けを求め、手を差し伸べる構造とかそういうマインドが世の中の主流ではまだないのかもしれない。

一人で背負い込まない構造というか・・・

 

友達から 小室さん引退するんだってね・・・と、話題が出て、なんか最近読んだ西原理恵子さんのインタビューみたいな感覚で見たら、自分自身なんか人ごとにあらずだから、なんか小室さんと聞いてこのインタビュー思い出した。こういうのが大事だね。というと

 

大事というか、そんなのあたりまえやん!普通のこと。

 

と、友達。

あなたにはもっとレスパイト がひつよう!と、わたしなんぞいろんなひとにいわれてるねんぞこれでも!(私からすると同じような子育ての仲間だが、レスパイト的なものを上手に活用しつつ、子供への愛のかけかたが、かなり上手にみえるんだが)と友達がかいてくれた。

 

 

れすぱいと???というの?

 

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へー・・・

 

おー・・・

 

 

 

わたしにおいては、去年の春だと、夫はうちら家族がなかなかレスパイトを求めることが、普通と思ってないような節があった。どちらかというと、モラルがないと思ってるよな・・・そこまでおもってなかったかもしれない。


そこに息子の尊重はあるのか?ほんにんがどうしたいはみたのかい?という息子ファーストをしたのかい?あんた?自分だけかい?のような。そこの部分は確実に、すごくすごく強くあった。

でも私のことはどこにもなかった気がする。

 

彼の母親はそれだけ子供に寄り添って来たからそれが当たり前という意識におもえる。

 

子供をどっかにあづけて、自分が楽するためか!みたいな空気を夫から感じつつ、わたしもはっきりしない。

私もまだ一緒にいるのが大変と楽しいがあるので、毎日のように人に託す気はしていない。

 

なんでデイサービスに預けるのか?というのとか、みんなやってるからとかそんな感覚ならばやめろ!と言われるのが多かったのが一学期のへんだ。

 

夫が変わって来ている。
通ううちにだんだん、わたしが その時間があるから 思いっきり子供に向き合える日、今日は休憩の日となって効率がいいこと。

 

息子は家が好きだけど週に数回ぐらいなら夫的には、いい機会、負荷になってると感じて来た???
お世話になってよかったという言葉が出だす。

ここちいい刺激であったり、ガッツのいる刺激であったりもあるけど、それは必要。と感じて来てる。それが二学期のへん。

 

子供がデイサービスで外面みたいなのもやってることを知ったこと(大成長です。息子の頑張りに、頼りっきりになっては彼もつかれてしまうかもしれないから、調子に乗らず息子を見ながら負荷を調整した方がうちは良さげなタイプだけど・・・)それを土曜日報告したときも、よいね。とスッと受け止めてくれた。

その次の日のうまにても、自分でいろんなことを決定していったり(じぶんのしたいことからやるべきことにもどる)とか、人の指示を聞いて慮るような様子が見えて、成長を感じたらしい。いい成長をして来てるようにおもってしまった。私も見ていて。

 

グラデーションで変わっていってる。
親ができないような機会を与えてくれてること、などを自ら感じるようになって来てくれたようです。

 

最近は よかったね とか、 すごいね いい機会もらってるね。

俺は自分が思うほど、そんな 自分に頑張れ我慢しろ自分を犠牲にしろとは思ってないよ。怠けて欲しくはないけど。息子のことを一生懸命見て欲しいと思ってるけど。つぶれてほしくもないし。

とか言ってくるようになり、風当たりが少ない感触がでてきました。

息子のしたいことは家にいることだけどそれだけではね。というのも感じているので、可愛い子には旅をさせろじゃないけど、出勤前に、いっておいでよ。とか、今日は何をしたの。とか、たくさん声をかけるようにだんだん変わりました。

 

夫と自分も似てて、私自身ちょっと頭の古いところもあります。自分でも積極的に子どもと関わるをやって見たいなっていうのもあります。
今は伸びていくので見ていて面白いところもあります。
いろんな人間の尊さに気がつくのは息子からが大きい。

助けてもらいたい自分と、自分もやって見たい自分。

 

息子自身も、そとにいくより 家が好き オタクボーイ。
外でも、自由にスペースがたくさんあるところで自然と交信するのがすきです。あにやってるんだべさ?な遊びをしております。
そういう場、フリータイムは親がさがしてあてがってあげやすいから、家族で完結することが多いです。

いまんとこまだ余力があるのかな。
だから毎日デイサービスに。ってうちはできてなくて・・・こどもがそっちがいい!って感じだったらいっといでーというかんじにもっていきたいなとおもってます。
性格かな。人に揉まれるより、家が落ち着くようだ。

多分それは基本変わらないんじゃないかなと思う。私自身がそういうところがあるから気持ちがわかる。

 

また、息子の前で、おかあさんたいへんでないですか?よくこの子育て頑張っています。と話す人には善意であっても、モヤモヤ気分を持ってしまいます。
息子にことばがわかってないとおもってるからで悪気はないんだけどね・・・
息子に失礼やん!と話わかってないようでわかっているというか空気感を感じてたり言葉もわかる言葉増えて来てるので・・・と焦ってしまいます。
僕は大変な子なのか。とおもってほしくはありません。
彼がいないときだったらそんな言葉も響くかもしれないけど・・・
いやーやっぱり、いないときでもやっぱり、いたわる気持ちは嬉しいけどこの言葉は刺さるなあ。っておもってしまう。息子悪くないしーと。
あとそう聞くと、楽しい気持ちがしないで余計自分の気持ちが下がっちゃうねん。なんかわびしくなって。なんやろ。流し下手でんな。感情が湧いちゃう。

でも息子の素行がわるいから自然にその言葉も出るわな。相手さんも。それもまあ 直 でいいことなんかもしれん。受け止めようによっては・・・

 

だからだんだんと私自身がレスパイトについて浸透していってる最中です。

レスパイトを求める当事者がこんなスピードだもの。。。ね。。。

 

 

家族に認知症の人がいたら

家族に高次脳障害の人がいたら

家族に障害のある人がいたら

レスパイトっていうのが世の中でも 健康で元気に生きるやり方ねとなるといいね。

 

うちのこはそれをどうおもうのか、障害や病気のあるその人自身がどう思うのかも慮りつつ・・・

 

それと、家族が利用するところが何のためにそれをするかが自分に響くとこかなー

お世話になってるとこは

運動をします!とか

こどもらの日常生活力を養うをやります(身支度、そうじ、余暇)みたいなとこがきにいってます。特に療育をするとかでなく。うまくいえないけど。。。

 

預かるに重視があって、お母さん休んでください。預かります。
みたいなことを言われるところはちょっとカチンときてしまう。

預かってもらえたらどこでもいいわけではない。面倒見てあげてるのになにさまだーと言われるかもだけど、そんなことなら自分でやる。

自分でできないような、何かが自分にとってあるとこじゃなかったら、本人家にいたがってるのに無理して行かせないくていいかと思ってる。

子供に失礼やんかその言い方は!とおもってしまうのだった。