sosonson

ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

ずっと思ってたことだった。

友達が読んで良かったという本を教えてくれた。

 


英語のタイトルは

ido in autismland : clibing out of autism's silent prison

だからにして・・・

自閉の囚われた世界から這い出すみたいなことだろうか??

 

ありがとうを言えるまで なのでつっこみたくもあるわね。まあ発信できるまでってことだとおもう。

 

本を売り、ひろめたかったんだなあ。日本のひとがなびいてくれそうなタイトルを選ばれたんだなあ。そういう気持ちのあり方は好きです本当に。

 

 

 

 

 

自閉症の子・・・とりわけ重度の子・・・

何を考えてるのかわからない??知性が伴わない・・・

同じ感性ではないので、同じように心が伴っていないように扱われる・・・

 

 

 

これをよんでみたら腑に落ちることがたくさんあるけど・・・

専門家は信用しないのかもしれない。

専門家が考えた、療育的な取り組みが、合わない子もいるのかもしれない・・・

 

 

 

この子にも心があるよ。っていうはなしを専門家にぶつけて、それもこだわりだとか業界の用語で一蹴される経験がけっこうある。

 

そのたびに、助けてもらってはいるけどなんか腑に落ちないなあってなってしまい、境界線がありつつお世話になる感じでした。

 

なんかちがうモンスターな扱いなんだなあ。っておもうことがあり、違和感があった。

 

お世話になるけれども、これだけは越えれないボーダーなんだな。といつもおもっていた。だから仕事をやってる意識でおられるんだろうしなあ。。。

ここについてはとりあえず封印だ。という感じだった。

そこに捉われなければ関係は良好になる。

 

でもいつもどっか、なんかなあ、ちがうとおもうねんその業界あるあるでまとめるの。とおもってしまう。 

 

この子はまともですー!

 

というと、 いやいやいや。となってしまうことがある。

 

だって園も療育も、このこのままでいいというより、どうやって普通人間ぽさを入れてくかだもんね。あはは・・・そか。

指示がきけるとか、同じことができるとか。

 

ぜんぜんまともやないわね様子。ふふ。

そりゃ、このひとたちは、こーゆーもんだ!となるかもな。。。

 

 

いどくん曰く、自閉症について知る機会を自分で逃してしまい残念な専門家の人たちだ・・・と思うらしい。


いどくんにとっては自分の限界や思いを勝手に決め付ける専門家よりも、ふつうの特別に勉強をしてない愛情があるひとのほうが、絶望しないらしい。

普通に人間として扱うから。

これはすごくわかるのです。。。

多分うちの子もそうだと思う。ふつうに扱って欲しいと思ってると思う。もちろん怒って欲しいとも思ってると思う。最近それを思う。

 

 

 

スティム的行動でダメなやつは違うよっていってほしい。

でもでちゃうんだね。と寄り添いながら、それはちがうんだよ。とかなるべくその悪い行動を止めれるように手伝ってほしいと思っているだろう。

自分でどうにもできないのだもの。

 

スティム以外には、感覚の処理の問題や、わかりにくいけど身体の不都合はある。鍛えても鍛えても体も出来上がっていかないし・・・

本人は自信をなくしてる(のカモと思うことがある)

ことばのききとりもままなっていないし

アウトプットについてはもうなんだか、適切さには欠ける。

 

それらは確かにまともに見えない。

 

 

 

だけども・・・心は普通のひとみたいにあって、うれしかったり傷ついたりしてるし、あらわせないけど、こうしたい こうやりたい ってあって、知的障害だとかそういうことではなく、人間らしく扱ってほしいなと思う。

 

ってずっと思ってた。

 

 

当事者、自閉症の子、しかも知的障害がある子、重度の子と誰かが判定したひとが、この本を書いている。

 

やっぱりそうか・・・まともな心があるよね。と思って読む。

 

あれ?そうだそうだ。

なんか似てるの。東田さんと。

 

 

東田さんは、おかあさんが いろんな子供にはまる促進できそうなものを、専門家には訝しがられても、自分で信念を持ったものは推進していき、手を添えて書いたり、手のひらに文字を手を添えてかかせて、文字というものを通してアウトプットできることがわかったため、コミュニケーションの手段が確立し、そこから広げ、文字盤でおはなしすることができるようになった。
(ざっくり、の私の印象。。。すいません、ご本人や親御さんはどう捉えてるかわかりません)

文字盤でおはなしできるということで、まともな心を持ったひとであることが感じれるのだが、自閉的な行動、いわゆるスティムはある。

スピーチを聞きに行った時も突発的な行動、叫んだり走り出す。みたいなのはあった。

いけないとわかってはいても、止めれないと本で読んだことがある。

 

 

いどさんは、おかあさんは米国にて特別支援のオーソドックスな療育の機会をあたえてきたけど、7歳になって、支えをつければ、文字でアウトプットができることを発見。発語ではないけどアウトプットができると、直感された。当初、旦那様には支えがある=インチキ、自力でない。というようなことで、すぐに受け入れてもらえなかったようだ。。。


第1、自分で保持するのがまわらないねんよ、ほんまに。

考えながら、作業をする。しせいを保持。つかむ、にぎる、ささえる。ができないの、ほんとよ、怠けてるわけやない。


その後、お母さんが機会を作った ソマ先生 が、特別支援のための勉強ではなく、普通の勉強を教えていかれたようで、文字盤を通して自分の考えをアウトプットできるようにもなったため、スティムはあるけれども、普通の学校で勉強する機会を得たらしい。
(ざっくりの説明だわこれも)

 

 

いどさんも東田さんも文字が好きだった。文字は自分で好きだから覚えていたようだ。

 

うちの子は文字はそないに好きではありません。。。あははは。

 

 

ソマ先生はなにをしてるのかなをきになったので、ちょっと検索をしてみた。

RPMというものを自分で確立されたらしい。

 

ラピドプロンプトメソド。急かすやり方だそうです。

 

自閉の子はわからないということでのんびりおしえる、何回も教える何回も何回も教える。

同じことを何回も何回も何回も言われることが苦痛な子達が多いので。。。
(ああわかるああわかるそうですそうです!)

 

おしえかたは ご褒美などはあげない、くすぐりもない。

せかすかんじで、すすめていくほうがその子たちには向いている。

 

自己刺激で動く自閉症の子たち、スティムをやめさせはしないようです。
(ああわかるああわかる、うまでもそうだわ。自己刺激しながら自分の中に取り入れていってるからってことになってるけどまさにそれだ)


あとは、人間らしく扱うことらしい。

バカにしない。対等にする。のよな。

 

そもそも ソマ先生も、お子さんが自閉症の子だったようです。

 

 

ソマさんはインド系の方のようだ。

 

 

いどさんが、ずっと書いているのは、ソマさんがコミュニケーションの仕方を教えてくれた。コミュニケーションはスキルで、練習することが必要。のようなこと。

 

あとは、勉強をすることは、世の中の人との共通の概念が増えておはなしがはずむこととなるとして、勉強をしていくのだ。

特別支援のまったりした教え方ではなく、普通に教える。

これはおもしろい!

もちろん段階を踏むようだ。

RPMでは二者択一からはじめ、文字盤の指差しによるコミュニケーション、そして最終的には文字を書くところまで、自閉症を持つそれぞれの子どもが情報を受け取りやすい感覚にうったえながら、教えていく。

二者択一や文字盤の使い方を教えるだけではなく、そうした方法を利用して、算数や歴史、文学、社会科学など、子どもの学齢に応じた幅広い学科教育をするのが特徴だ。それにより、子ども達が生活の中で断片的にとらえていたことを、総合的に理解できるように促し、さらには、自分の考えを表現できるようにすることが目的である。

 

 この記事↓から引用↑ とてもいい記事だ。 片瀬ケイさん、ありがとう。

 

学びたいと発信はできないけど、学びたい子はきっと中にはぜったいいる。

 

 

学びたいのではないか?うちの子。とおもうひとなら、一度研究してみるのはいいかもしれない。ソマさんの気づきを。

とりわけ 字が好きだったり本が好きな子だったら!

うちは、、、字も本もきらいだからなんかちがう突破口があるかもしれない。

 

 

 

うちのこ、自分が認められたと本当に感じることがモチベーションなんだ。

自分ができたいことじゃない、人にやらされて無理やりやったことについて褒められても、それはいうからやりました!そんだけ!みたいになっている。

 

そのあたりのことから、このメソッドがというのはおいといて、ソマさんが自閉の子に見出した本質はきっときっと、なんとなく自分が感じてたことが鮮明に言葉として掘り起こされてる気がするので・・・

 

ソマさんの言葉を読みたい。


ソマさんが、やってることは、コミュニケーションが重度にみえるこに対してとゆうのが、革命的だ。

普通専門家もぽいっとしちゃうゾーンやん! 

CNNのみて、うちのこやん。と笑ってしまった。



いろんな子がいる。それぞれの子をどんなふうに伸ばすか。


ちょっとまえにディズニーセラピーの本を図書館で借りてきて読んだ時も、やっぱり親御さんたちが、周りが何を言おうと子供を観察して気がついたことを深め、直感というか信念を感じることを勧めて、子供が自信を持って大人に近づいていってる環境をつくっていたのが印象的だった。

彼らもオーソドックスな療育にNOをいって自分立ちで動き出す(とはいってもいいとこどりはしてるんだけどね、オーソドックスなやつの)

自分の子供に何が響くのか、何をもってで衝き動かすのか。

好きなものが好きすぎるから、距離をどう取るのかもやっていたのがおもしろかったよ。

そこ大事。

 

 

オーソドックスな療育が悪いと思わない。それがはまる子もいて、そのせいでいい人生の子もきっといる。

それはそれで⭕️。

なんでもいい。その子の持ってるものが光るやり方がいい。

自分がこれだと思うやり方がいい。

 

 

 

何か自分の子供にはまるものを見つけるだけのことのような気がする。

それが難しいのだけど・・・さっき引用した記事にもとてもいい文章があった。

RPMに限らず、重度の自閉症児の教育には、気が遠くなるほどの忍耐力が必要だ。それでも家族はあきらめない。どれだけ大変でも、何らかの形でコミュニケーションが取れるようになった時の喜びは大きい。

そうそれなの!

 

 

ABAの達人の友達もすごいそれは頑張っていた。お子さんはコミュニケーションが重度といった感じではない。我が子といっしょくたにしたら失礼かも。

それでもこれが向いてるという信念を持っていたのだから。子供たちはそのおかげでとても発展している。はやくに道筋を見つけてあげるのは大事だといつも彼女を見ていて習う。

 

手法はなんでもいい!手法はなくてもいい。なんか、こどもの気づきをキャッチできたら。


私はまだ正直見つけれてあげてない。

よって そうそれなの! とはかいたけど、 気の遠くなる程の忍耐力をするのはまだこの先だ・・・

ふふふふふ。

 

うちの子も、いどくんみたいに、はやくここからだしてくれーって思ってるかもしれないね。

 

 

 はよほんこないかなああ。

 


重度のコミュニケーション能力のなさだけど、人間として、モンスターではなく、思いがあり、気持ちがあり、生きているんだ!