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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

木曜日の登校

木曜日の登校、おんぶしてくれでした。3分の2はおんぶしたけど・・・

 

学校の先生から見える場所に来たときはおろしてみた。降りるか聞いてをしたけども、おりてくれないね。固い意志を体から感じましたが、言い含めで結局降りなきゃをわかっておりました。

 

そもそも 明確に指図してあげるのが一番。なのですが・・・

そしてそれを曲げないのが。

だから、やっぱり悩むけど、学校の見えるところからは下ろすにしよう。って思って今日はやってみた。おんぶの登校は2回目。前回はいつだったかな。わすれたわ。
でもその日はそんな気持ちだったんだね。

違う日に自分で全部荷物を持って行ったときやらいろんな様子があります。

 

例えば小さな子とか、抱っこのくせがつくのかな?

やっぱり自分でできたら嬉しいから、そんなことはないとおもうのわたしは。
甘えてくるのが人より長いとか、人より多いとかはあるのかもだけど、自分で手を離すと決めた人が強い気持ちを持ってるのかもしれないと思います。

無理にそういうものだ!ってしつけて多くの人は問題がないのかもしれません。

でも子供によってはそこがたりなかったっていうのが原点になって、大人になる途中やら大人になってから、困ったことをしでかしたり、閉じ込めすぎた気持ちのしんどさがまだ続いていたりってなる気がするのだ・・・

 

おんぶしなければいいだろう。あなたのその中途半端な手の差し伸べがこの子をダメにする。っていう意見、は本当かもしれないけど、万人に当てはまるかはわかりません。自分で自分の子を見て決めたらいいのかなと思います。

 

 

おんぶ、毎日いうわけではないのです。だから、きっと理由がある。
おんぶしたら、連れて行かれるわけです。自分の意志はともかく。
でも、途中わざと何度か止まったら、学校の方向をゆびさし こっち こっち しょがっこ というので、行く気はあるわけです。
わざと家の方向に引き返そうとしても、 こっち こっち しょがっこ! というのでした。

 

気持ちを半分背負う。感じかな。

気持ちを半分背負うは、今は私の中で、決めてることだから、いいよ、ドキドキするんだね。背負うよ。でも学校の柵のところからは歩いてね。ということにしている。

 

しかあし、雷のおばあさんにあったらきっと私すごく怒られるなあ。

彼女の思い人への気持ちはわかる。いい根っこがあるから、世の中に対しての良い動機があるからきっとほっとけないだろう。

織り込み済みで、あほのふりをして、頑張って流そう。

 

 

 

さてどんなきもちで、今日は、はじまるんだろう。

 

おんぶだから、自分のチューニングなしでの登園です。いつも自分で歩くときは、チューニングしながらすすみます。きもちをじぶんでたばねていく。

 

みんなと一緒に歩くときより、そうでないときの方が落ち着いて学校に足が向かっていきます。

でもそれをすると、朝礼や集会の日もドタバタ。そうでない日だって遅刻のようなものです。あと1分とかそんなときにつくから。

 

 

先生にその辺を一回しっかり伝えてみよう。

先生もたぶん来て欲しい時間とかもあるだろうし・・・

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