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sosonson

ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

導く人の話

学校の行き帰り行かないといけないのですが、帰りってのはけっこういろんな空気が出ています。

 

子供さん達からの今日1日のフィードバック的な空気。

 

 

で、毎日思うことは、
遊ぶ時間がもっと欲しいのが子供さん達。のように見えます。

 

 

勉強がお遊び的なものとグルグルと回るかんじ。の時間はもしかしたら少ないのかもしれません。
自分が子供のときも、画一性のあるクラス。っていうのにあわせるのが、だいたいやることだったなとおもいます。

 

 

のせいなのかなあ。???

帰りにちょっと危ない遊びをしたがる子もよく見ます。

 

 

これがまた、あきらかにへちょへちょの子だと雷を落として止めようかなとおもうのですが、考えてスリルに接している。肉体的に可能性を高めようとしているような面もあるので、雷を落とすというより

 

これは怪我するかもしれないことだよ。
たまたま手を滑らせたら、藪から何かが出てきて驚いたら、アウト。怪我するよ。
頭を打ったら、もうずっと遊べなくなるかもしれない。

 

のようなかんじでは注意をして言います。

やめろ!っていうより、かんがえてもらう。ような。。。
ゆるいかな。。。

 

 

でも先生ならば・・・
普通の大人ならば・・・すぐ雷落としますよね。

 

 

 

どうしたもんかなあ。

って最近のこれ悩みです。

人を見て、声をかけるから、雷を落とす場合もきっとあるんですが。
あきらかに手元が危ないとか、もうそれはいくら、体力的にはあっても危険すぎてダメな遊びとかとかは雷落とすと思います。

 

でもちょっとスリリングな危ない遊び、体に自信がないと始めないような子も中にはいて、それはその人の人生に必要な活動のような時もあるような気がして、、、

 

そんなかんじのお子さんには、雷を落とすより注意活動になってしまいます。 

 

 

このあいだも、帰り、息子道草で公園で会った子が提案する遊び遊びがあぶない、、、

 

それは高いところから落ちるかもしれないから、アウト。

それは避けるのに失敗するとおおけがするから、アウト。

 

と、提案がある度にいうと、

 

でもおもしろいしやりたい。という。

 

まずは安全第一。というと。

 

安全第一より遊び第一!って言い返された。

 

 

結局説明したからなのか、おばさんがいるからしゃあないとおもったからなのか、危ない遊びはしなかった。

 

 

あとはおもしろいのは、危ない遊びをしている時にわたしがとおりかかって、その遊びを急にやめれない時(やめると怪我につながる時)の彼らは、あはははははははってなぜかすごい焦って笑って私を見ている。

 

やったらあかんと認識はしているようだ。

 

ただし、実感はしているのかよくわからない。
いわれるからやめなきゃなのかもしれない。

 

怪我することが万が一あるから、ねたきりなるかもだし、ほねおっちゃうかもだしね。遊べなくなってしまうよ。

 

 

っていう。ごめんなさいが聞きたいわけではない。

 

なんでやめるのか。
その辺りを思い浮かべてもらえれば・・・雷。おとす?おとさない?毎回悩む私。

 

 

友達にその話を軽くしてみると

最近まともに怒れない大人が多いのが問題のような気がする。と意見もらい、これもおもしろいとおもった。

 

毅然とした明確な教え方のほうがわかるときもある。

迷っている、導いて欲しいから、問いかけがあるのかとおもう。大人ってすごい役割だなあ、、、子供たちはいつでも大人にジャッジを求めている感じがあるもの。小さければ小さいほど。。。 

 

 

当然、雷、おとすときもあるだろう。

 

 

 

全部大人に芽を摘んでもらってそれで、本当に理解した人間に育つかというと、多少は自分で頭を打ちながら、生きてくものだろう。

あんまり冒険してる時に遭遇したくない・・・って本音もある。

せいぜい人は自分のできそうな手応えがある時にそういう活動をするものだから。っておもってる。

 

安全第一ですが・・・ 

 

いつのまにか導く人の世界にいた。ふーおばさん。こどもでいたいー🎶ってうたいたくもなるぜ。

てきとうにやるけど、こたえなすぎてこれも。

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