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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

いちねんせい

むすこさんが、いちねんせいになって、初めて一年生ってことをすごく感じる四月でした。といってもうちの子は規格外の一年生。

 

なかよし学級に行った子です。

 

普通の子のお母さんと思ったことは違うかもしれないけど、ふと気になって腑に落ちる記事があったのです。

 


やまがたてるえ さんという方の文章でしたが、実に腑に落ちたところを勝手ながら引用します。

 

 幼児期は「遊びが仕事」であり、一個人として自分らしくいることを肯定することができたことでも、学校に入るとある程度の「周りとの足並みをそろえて一緒に学ぶこと」が一つの課題になってきます。学校生活において、少しずつ個人から集団で学ぶこと、その集団生活に適応していくことがこの時期には求められるのです。

 また、道徳の授業も始まり、たくさんのクラスメートや先生などのいる学校という社会で、体感しながら学ぶ「道徳観」も著しく伸びていきます。自然や日常生活での体験学習もとても大切です。遊びが仕事であったときの様々な経験が子どもの興味を育み、それが学びへとつながることへの大きな変化を感じていく時期でもあります。「学ぶ楽しさ」を感じていくスタート地点ともいえるでしょう。
 「基礎的な成長」から「教育」へと変わる過程で、ある種の溝を感じることは当たり前のことなのですが、多くの子どもはその環境の変化に戸惑います。例えば、保育園と幼稚園、こども園で多様な生活を送ってきた子どもたちが、入学後「学校」という一つの場所に入り、一斉に、同じ時間、決められたカリキュラムで学ぶ。その変化に戸惑うお子さんもいます。その中で自分自身がうまく歩調が合わなかったときに、子ども自身が戸惑い、迷いを感じ始めます。これが、「小1プロブレム」というものです。
 学ぶことにも個人差があり、それも個性です。その中でも、子どもたちは今まで感じなかったことを感じ始めます。テストでもらう初めての100点、隣を見たら、あの子は80点…。他者と比べる視点も加わり、◎○△という評価の世界にも突入していきます。子どもはそうした変化を受け入れて、自分自身の主体性を持ち伸びていく発達段階に入っていくのです。

 このような変化の過程で、「あなたは、あなた自身のペースで進めているね。それでいいんだよ」としっかり受け止めて、子どもの自己肯定感をつくってあげられるかどうかは、親や周囲の関わり次第。子どもの視点に立ち、気持ちに寄り添ってあげることが、低学年の時期にはより大切になっていきます。親は子どもの「自律」を支える伴走者でありたいものです。

 

毎日学校に一緒に登下校だけ一緒に行きます。

 

遠足も、先生から、ちかくにいてもらえると。という話があり、陰ながら伴走でいっしょにいきました。

それが先生とうちの子のためになるならーの一心でする。。。

(息子が気がつかないように歩いていました・・・)

 

そんなかんじで、みんなに認知されてるおばさんだから話しかけられたりあります。

 

 

長時間の話ではないし、彼らの生活の一瞬一瞬を見かけてるぐらいですが、

一年生の子たちの表情、おはなし。4月から5月の変化を見ていると、上に引用させてもらった感覚の感想をすごくかんじるのです。

 

 

周りの一年生の子たちもそうだし、発達凸凹のうちの子に対しても全くもってそうだなって思う話ですが・・・

 

みなさん、新しいところに適応していく風景の変化があるんだなって思います。

 

 

そこはもちろん、

自分のペースで進めているからそれでいいんだよ。っていうはなし。

 

 

大事にしていきたいなと思う感慨の文章でした。

 

 

 

2年生のことについてかいてあることも、すごくしみじみしました。

 

 

低学年の時期は、環境の変化で心身共に疲れてしまう子もいますし、逆にその刺激に興奮してエンジンがかかる子もいます。何気ない毎日の生活(衣食住)の世話を丁寧にしてあげることや、子どもとのコミュニケーションを十分に取ろうとすることが、最も大切にしてほしいことです。

 また小さなことでもありますが、忘れ物に関しても手伝いすぎると自立の芽を摘んでしまいますし、「失敗から学べばいい!」などという感覚でそのままにしておいてもいいとは、まだまだ言えない時期です。小さな失敗でその日の学習にしっかり向き合えないお子さんも実際います。なので、小さな目配りは重要だと私は考えています。忙しくても連絡帳はチェックし、何度も繰り返される忘れ物の場合などは「どうしたら、忘れなくなるかな?」と一緒に話し合ってルール作りなどをすることもおすすめです。定番の持ち物も頻繁に忘れてしまうお子さんに対しては、ホワイトボートとマグネットなどを使って一緒にチェックをするのも手。習慣化できるように親が工夫をすることで、子どもが徐々に一人でできるようになり、自信につながりますよ。

 

 

環境の変化で疲れる子もいるし、エンジンがかかる子もいます。

 

 

そうだねえ。ほんとうに、両方を感じます。うちの子ですら。

 

 

こんなに一年生をまじかで見たことがなかったので、おもしろい。先生たるやもっといろいろ思うだろうなあ。

 

 

 

遠足、片道2.5キロを歩きます。

1年と6年。一緒に。

 

帰り道がドラマチック。

 

一年生足が結構もつれてます。

座り込む子供も何人か。

 

 

6年生が励まし誘導しアテンドします。いきしに見えなかった風景です。

 

 

支援級の別の先生が、わたしが歩いてる近くに差し掛かったとき、かえりがね、おもしろいんですよーって言ってくれたけど。ほんとうにそうおもってた。

6年生の奮闘ぶりが観れるのが帰り道。

1年生はまだまだ、ひよっこなんだなっていうのがダメダメの姿ですごく見えるのが帰り道。

 

 

片道2.5キロあるいて、公園でハッチャケて遊ぶ。

帰りのパワーは残ってない。

 

 

そこでがんばろうよ!みたいな世界があらわれる。困る一年生に困る6年生。なんとか励ます6年生。

 

 

うちの子はなかよしと担任の先生二人の両手に花で帰っておりました。

ついたらすごく褒めてもらってました。

先生たちですら疲れた表情になっていた人が何人か。若手の先生。ベテランの先生たちの威風堂々さもおもしろかった。

体力では負けるのかもだけど、なんというか気のあり方みたいなのは、師匠格なんかなとわたしにはみえました。

 

 

 

ついた後のそれぞれの先生たちの話、1年6年で、感想をいいあう。のときは、話の内容もわからんしいる理由がわからんみたいな感じだったので、

さよならー

おうちかえるー

おわりー

って叫んでました。

 

お話が終わってさようなら。をした瞬間、走り立ち去って、池に唾をペッとしにいきました。

 

ああ、限界やね!となかよしの担任の先生。

(でもこのとき唾を池に吐くでまだよかったわー。。。て、不謹慎だけど、、、安全面ではまだ、まし。。。どやって我慢の力を育てよう。)

 

 

終わった後の終わりの会に行くのは無理だった。 

学校まで頑張ったのでOKとしてくれました。

連絡帳はせんせいが交流級に取りに行ってくれました。すんませんすんません。

 

 

 

ほんますんません。

これ、思ってもいいけど耐えてほしいわ。これは、感覚の処理がとかそういうところでなく、身につけてほしい自分を律する力を育ててほしいわ。

どうやって伝えていくべしか・・・ 

 

 

 

下校、座り込んでる1年生がいました。

みんなではげましたけど、もうこのまんまここにいるねんもうパワーがないねんと、道で座り込んだり、溝の中で座り込んだりしています。

 

 

子供達の励まされたり、たまたま通りかかったなかよしのうちの担任の先生に励まされて、帰って行きました。

 

うちのこも へとへとながら、道草して帰りました。

 

 

 

6年の子に、みつかってないん?と尾行中結構きにしてもらいました。

 

また、ご近所のお世話になってる方のお孫さんから、おじいちゃんからきいててん。って話してもらいました。

 

先週末は、息子が未就学のとき、犬さんの散歩で出会うことが多かった、いい感じのお母さんに、道で、子供が6年なので、うちの子の交流クラスの1年生の教室によくお邪魔しているから、うちの子のこと知ってるよ。と声をかけてもらいました。

 

 

いままでは、支援のとどいてる幼稚園に通ってたし、近所の人との接点はちょっと薄かった。

気楽だったから、それもちょっと懐かしい。

 

でも、声をかけてくれる人たちってだいたい、あったかいので、励みになります。

 

 

 

反面、道で交流同じクラスのお母さんが、挨拶しても無視だったりもあります。

彼女はなんちゅうこじゃ・・・って目でずっと入学式や授業参観のときも侮蔑の表情だったからね・・・しゃあない。

 

凹みそうなときに見るのが森山和泉さんのブログ。

勝手に引用。

光のある方を 希望のある方を 幸せのある方を

向くようにしてきました

そうすると闇なことは自然といつの間にか忘れて(消えて)いくものです

私自身精神的に成熟している訳ではないので

自分の中に沸いてしまったマイナス感情をうまく対処することは苦手です

でも行動で感情をコントロールすることは案外簡単です

形を整えると言いますか。。。

その一つが挨拶です

 

苦手な人にも笑顔で挨拶をする

(一点の曇りもなくフラットな感情で)

その先のことは何も考えません

気持ちの良い挨拶がかえって来なくても

「笑顔で挨拶できた」私にだけ意識を向ける

苦手さんに気が付いても気付かないふりをしなかった自分を褒める

やるじゃん わたし♪

いいぞ わたし♪

そういう風に考えると

挨拶がかえって来なくても

愛想のない挨拶がかえって来ても

非常に嫌な感情に支配されなくてすみます

 

親自身も息子のことは好きだけど、なんちゅうこだー!っておもうことあるから、まあしゃあないわー。

 

和泉さんほどがんばって挨拶はしていないけど・・・

落ち込まないように、会釈をしたり、気持ちは立て直します。

 

冷たい人の気持ちもわかるのよ。だって自分の子供に、不安定な要素は不要だっておもうのもわかるしね・・・見んな心配事を減すために自分を守って生きてるから。

 

 

 

世の中のみんながうちの子をどんな風に見えてるかはわからないけど・・・

 

地域で生きる感じの出来事が増えている4月でした。

 

ありのままなりの努力を、たたえて・・・、ありのまんまをひらきなおるのも諌めつつ、ありのまんまなりにおってもいいかと無理もさせず〜

と、なんともマニュアルのない日々です。

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