sosonson

ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

ん????

今朝送ってきて、ん???って思ったのですが・・・

 

先週くらいから、挨拶が自然に出だしました。

目線を合わさないのだけど・・・

 

これまたはたっと止んでしまうかもしれないけど。。。

 

近所の人にもいえるようになってるし
ただ発音が不明瞭だから気が付かれてないと思うけど。

 

先生達にも。

 

ん???

 

こどもたちにはまだかな。

大人が一生懸命挨拶してくれるので小学校は。どの子にも。

だから、すごく、いい感じ。

 

いままでこんなことはなかったぞ・・・ん????小学校マジックだと思います。

 

支援がある園。三年間通い、今の小学校ぐらい、これが意味あるという気合いであいさつを教えてくれたせんせいは、1人でした。


みなさんたいがいそのうちこの子はしないからと処理する感じでした。

発信する子に対して処理する。

かたちだけのかんじのせんせいがおおく感じました。

支援教育を知ってるからって、良い環境とはかぎりません。

もちろん、せんせいたちも、毎日だからつかれるよね。


強制はしたくない。

せんせいは。なにをつたえたいかを主体性を持ってはるやろし。


小学校のせんせいや、近所の方は、ふつーに、やりつづけてくれる。ふつーのこたちに、そうあってほしいから。


 

連絡帳を出しに行った時も、せんせいにいわれたらやるようになっている。

 

 

視覚支援とかでなく、積み重ね的なのプラス周りの様子。周りの様子が構造化みたいなものかもしれないね。

園もそれをすごくしようとしてくれてたのでわかります。ただ本人、音の処理や状況の処理に追われてしまい、おそくて。。。

まわりはざわざわ

朝泣いてるこがいたり。。。

同じ仲間やから、同じいきづらさがあるこらやからね。わかるわ。

かぎのかかった部屋に閉じ込められるしね。

逃げる子がいるから安全上しかたない。

でも、その感覚の処理がしんどくなる子には逃げ場はないよね。


でも現場もしゃあないね。



一年めの先生は、いつかできるように、伴走するからねって表現で勇気付けられました。


しませんできませんやりませんわかってませんと2年目の先生からすごく言われておりました。


ざわざわしたなかで、たくさんの音のなかで、先生の声だけひろうのが、できない。

やるべきことに集中できない。


本人がこまってる。とつたえたら、お母さん普通に言葉で話してあげてますか?

他の子はみんな同じ状況でできます。

とか、こちらがちゃんとしてないから。という反応でした。


おやのしつけ。って反応です。


そう見える人が世の中のほぼほぼだから、慣れてます。が、支援教育の幼稚園にいたから、そうか、支援教育の幼稚園だからって、わたしが納得すべてできる場所なわけないな。


そんなこともありね。

でした。


本人が困っているとは思ってないのだなあっていうので、私はモヤモヤとしていました。


だから支援教育に精通している人がいる現場だからって、親が気楽とも限りません。

同じ障害の名前が付いていても、それぞれの子で困りごとがちょっと違うのです。


たくさんの、そんな子を見てきた人にとっても、まれなケース。

だったらその子や、その親に問題ある。という認識。


まあしゃあないよね。

だれも証拠はつかめないし。

わたしは、観察してる時間は長いけど、わたしも仮説が間違ってることがあるし。

 

だから業界あるあるでくくるより、業界あるあるもキーワードにしつつ、その子に付き合っていくうちにわかってくるかんじです。


ある意味誰でも仕事はできそうな気がする。

しかし、彼女の仕事で尊敬できる部分はいくつかありました。だから、お任せできて良かったと思います。

 

いま四月からの様子を見ておもうのはは、 先生方の寄り添いがあるからだとおもう。

こまったことをするのは、本人が困ってるから。を、なんでも知ってますの体のせんせらにはいいにくい。プロのプライドがあるから。


おやも、せんせいもわたしは同じやとおもうんだけど、しってないふりとかだいじよね。

へんなはなし、相手を威圧しなく、気持ちを引き出す。のよな。

いまのせんせ、ほんまにしらないのかわからないけど、また教えてくださいとかならずいう。

どっちかな?


フツーの社会にできたらいるのをするポイントはそこなんやおもう。


しらないひとも

なんやろ?

をすることは、無駄やないのかなぁ。と。当事者やから、胸張ってよーいわないけど。

世の中がそんな空気になればいいな。特別感がなくなりゃいいな。


普通の学校のせんせいたちは、すごい素養があって、子供の博士。

わたし的はプラスこまりごとのある、よわいこたちについて、勉強してくれたら最強。

時代とともに世の中かわる。

弱者の味方でいてほしい。そのアティチュードは、子供らののちの人生にたぶん影響するから。


貧困や障害や、いきづらさのあるこたちが、じぶんで生き拓くために、こどもは、大人から学ぶから。


あ、フツーのこたちもおなじね(^O^)


うちの子に関し、まだ問題は山積しているのだろうけど、こういう場面を見ると、できることをすごくやってもらうことで世間にいれるありがたさを感じる。

 

この光景を見ているこども達はどんな大人になるのかな。

 

答えが出るのは、まだ先の実験。

 

 

しかし、うちの子の音楽の先生や、ずっとお世話になっていた言語の先生、ずっとこの仕事がしたかった。そんな子と関わるのをしたいと思ってた。という。

 

音楽の先生は、クラスにいたこのことをおもってたり、その後そのことがあって児童館の加配でそういう子に関わったのがあったりとか、少しずつ積み上げていった関わりのようでした。

 

 

こんな人に出会うと、なんか、びっくりするよ。

 

 

馬のセラピストさんも、ファミリーのなかに、同じような障害を持っている子がいたので、その子と出会ってからの世界です。とおっしゃってました。

でも、ややこしいとかおもわなかったんだ。いいところというか、どの人も愛されるべき存在なんだと感じて今を生きている感じがすごく好きです。

 

 

もちろん、うちの子、たくさん悪いことがあります。

わかってないこともたくさん。分別ついてない、知性な行動にかけるところもあります。だから、いてもいいでしょ!!!と私も言い切れない。

 

発達の段階で理解できること、まだ教えるのに苦戦するところ、ありますが、やっぱりできるかぎり、本人に伝わりそうな切り口を探して伝えるしかありません。

 

 

しんどいなー

 

 

でも普通の子だって、いっしょか。

親は思い通りになんてちっともなっていないはず。



学校の、たまたまこんな子に出会ったせんせいと、背後にこんなこのために仕事しますをした人がいたらいいな。


両方の人がいるのがわたしの自然


わかってる人らで、群れてもいまいちよね。

でも、わからないからしーらない。もいまいち、わたしには残念 よね。

 

ね。

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