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sosonson

ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。

なんていってるんだろうかな

6.00 おかあさんのおもい

先日、帰り道、近所の男の子たちがキャッチボール。

みるといいました。

 

もう5時台。かえろうよ。ってたのんだけど。

 

 

ぼーる みる!!!!

 

 

と。

 

 

でみていたら

 

はげる みたいな発音の言葉を2回繰り返します。

 

 

なんていってるのかなあ とわたしが声かけすると・・・

その小学生の子たちが

 

 

はねるやわ!

 

とか

 

なげるやわ!

 

とか なげたいんかな と ボールもたせてくれたりしました。

 

 

 

で楽しかったみたいで30分ぐらい見てました。

 

 

参加してるわけでないけど、本人充実してるかんじでした。

 

なんか うれしかった 親です。

 

 

子供たちは子供の世界にいて、 大人みたいに この子は障害があるからとかそんなかんじのふれあいでないときがあります。

小さいとき限定だけなのかもだけど、すごく気がつかされることがあります。

 

また、高学年に連れ、わけのわからないやつ。という「大人目線」の視点にスイッチしていくとは思うのですが、それはそれ。世の中だからなあ。とも感じます。

 

自分だってこの子に出会うまでは、そういう視点になってたわけだから。

 

ね。

 

小さい子たちとのふれあいを見てると考えさせらることはたくさんあります。

 

また、小さい子たちは大人に必ずジャッジを求めてきていたりします。

定型であればあるほどそんなふうにわたしは感じます。

 

 

そこがまた人間の不思議で面白い群れ社会なのかなと思います。

 

 

わたしという大人に出会った子供が手に入れる物差しと

それ以外の人から手に入れる物差し

いろいろとあるかとおもうけど、大人になったときどんな物差しで生きるかはその子が決めたことだと思います。

 

 

いま、いろんなひとにあいます。

 

 

いろんな大人にあいます。

 

 

皆さんの人となりは、生きてきたその人の軌跡というか奇跡なんだなあっておもうと、おもしろいし、ドキドキして怖いこともある。

 

でもなんかやっぱり、そんなかんじで世の中があるんだねえ。

 

みたいにおもってしまいました。

 

 

子供時代の観察。おもしろいなあ。

ふふふ。

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