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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

かわいがるということ

かわいがられていると、気持ちは安定するもんではないかとおもいます。

 

自分自身もそうだろうし、それは自分で自分を可愛がることよりももっと、自分以外の他の誰かが自分を認めて、かわいがってくれることがダイナモなんだろうとおもいます。ひとの本能?

 

きのう、言語の訓練でした。

言語の先生は、まあかわいがってくれます。ほんと。

 

ニコニコとしている子だったら、可愛く感じてかわいがるのは然りなんだけども、うちの子はよーくきれとります。

 

キレるのは。。。

パニってるのですね。

パニる理由は様々だけど、なにがどうかわかってないとき、こうしたいがあるのにどうともならないとき、なんですが・・・

 

でも先生は理由はだいたいあたりをつけて、流していってくれています。 

そこにとらわれないように、の工夫かな?

そして、見通しがまだつかないウチの子に、どやったらつくのかの模索をしてくれてるのかな?

そこをダメとはいわず、おこるなとかいわず、うんうん。と受けて流す。
無視しているようで、無視っていうほどでもなく淡々とながす。前にむくような少しのガイド。先をこっそり照らしてる。でもまあ無視っちゃ無視。言葉で書くの難しいなあ。

OTのおじちゃんせんせいもそんなかんじですね。

 

できないからこの子やだ。わたしはちゃんとやることしてるのに。ってかんじではなく、ニコニコと前向きに。どうともならないことは淡々と黙々ととらわれず。でも、寄り添うみたいな不思議なかんじです。


たち帰れたらすかさず褒める。テクニックもあるけどなんだろう、根底には、この仕事を選んだ思いや、子供への尊重や関わりの理想があるのをかんじます。

若いお嬢さんなのに、ほんと、ありがたくて。感心します。

 

いつもすみませんーすぐ切れちゃって^^って私がいっても、

いや全然!大丈夫です〜かわいいです〜

 

ってかえしてくれる。

仕事だからなんだろうかもだけど、たぶんいいところもみてくれたり、彼なりに成長してきているのをちいさいときからみてるので、ほんとうに、愛着も持ってくれてるのもあるんだとおもう。

 

ウチのひとがいった。

うちの子の大分のパーセントは先生だよね。。。僕らの子育ての、いろんなことも先生から教わったこと多いよね。ほんと、ありがたいよね。
かわいがられてるよね。

 

ほんとに。たぶんふつうのひとなら、なんじゃこいつ!もうやんなるわ!ってなるよね。親だってたまに、もーほんとやだなあ。っておもうもん。

私も思う。

 

ウチのひとが言った。

もし、足が悪いひとが杖をついていて、その杖がぽーんとはずれて、こけて転がっても誰も責めないけど・・・

うちの子は心に杖をついていて、その心を支える杖がぽーんってはずれちゃう。するとこけちゃう。そしてそれがパニパニで地面を転がってる。まわりは困った空気になっちゃう。でも、心に杖をついてるんだから。また杖をつけてあげたらいいのかなとおもう。自分がよくそれを忘れてこっちの都合の内容で声をかけちゃうからな・・・

 

そうね。言語の先生は、そのへんは自分の都合でなく、心の杖をそっとまた持たせる感じがするね。

 

これから先もそんな先生に会えたらいいなあとおもう。
特に学校生活で。

 

できないからって攻撃しなくても、教えなければそれっきりで機会はなくなる、ただどんな小さい階段で教えてあげようと考えて、それをしようとすれば、、、それだけで未来に機会はのこります。


包み込む=かわいがること、ってわけでもないのだろうな。

 

ああ、愛を持ってかわいがってもらうってなかなか壮大ですね。
よくキレるからかわいがってもらえるかどうかはあやういもんです。
また、ノリが悪くナーバスだしなあ。。。

家族にとっては可愛い子なんだが。。。

 

小学校でどんなせんせいにあうだろうか。

 

かわいがってもらえたらいいなあ。
垂れ目メークとかして登校させようかな。。。ってメイクの技術もねーが。

 

息子くんは心の杖を自分で拾って持てるように、もたせてもらってるうちに自分で拾ってやろかなってなりますように。

 

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