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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

人間の器量

人間の器量ってあって、然りだとおもいます。

 

しかしながら、耐えれないほどのことがあっても、生きている。

 

ガガさんが長文で、じぶんの精神疾患について、コメントしました。

 


かってに、ぺたっとします。NMEより。

 私は解離と呼ばれるものも体験しました。苦痛を私の精神が思い出したくないために、げんなりとした状態で目を背けたり、じっと見つめたりするのです。私の担当医が教えてくれたのですが、私は自分の感情を表現することできません。それは、私の前頭前皮質(論理的、秩序的な思考をつかさどる部分です)を扁桃体(情動反応を記憶しておくところです)が上回ってしまい、闘争・逃走反応を送ってしまうのです。私の身体と精神が別のところにあるのです。それはパニックを加速させるものとして、私の精神にとどまり、恐怖に麻痺してしまうのです。

最近きになる、カニエさんのことも、なんらかの、類似なかんじなんかもしれません。

彼らは、人にみてもらう仕事をしてるから、わたしにはわからない苦戦があるだろうとおもいます。

みられたくないときを、自分で選択出来ないことは、多々でしょう。

 

 

 

さて、どうせ生きるなら、ヘルシーになんとなく自分の器量に、折り合いをつけ、生きるのがよさげです。

 

前頭前野を、イヤイヤ期に、鍛えて乗り切ったに誰もが、また、生きていて、耐え難いことに遭遇して、脳が疲れちゃうことは、あり得ることなんだろうとおもいます。

 

うちの子のように、なかなか、そこが折り合いつかない、そこが、生まれつき脳の器質がそうなんだよねーの人も、ここの苦しみ回避には、苦戦するのかなと、想像します。

 

つらつらと、解決策もなく書いてるのだけど、、、

 

じぶんの折り合いのつけかたをうまく見つけるのに貪欲になろうとすることは、自分の器量なりにの、生きる力なのかもな。

 

気分転換したり

考えて解決しないやん、荒れても解決しないやーんと、自己暗示かけたり。

 

しかしそもそもそこに気がつくうちは、持ち直す。と、精神疾患を抱える家族のいる友達が以前はなしてくれました。

本人、脳がつかれていて、そこに至らない。自分が客観視できない。その場合は、とっかかりさがしが、まず大変。と。

生まれついて、そうなりやすい脳の器質の人もいるとかなんとか。

 

やっぱし、誰かに助けてもらいながら、やっていくものなんかなと、想像します。

ガガさんも、結びにそのあたりを言及してます。

 

たぶん、家族だけでは、なかなか、修正が困難なのかも、、、

 

わたしも、へこたれたら、家族には、ぜひ、医療の機関にもたよってほしい。

なんだか人ごとにおもえない。

生きてて、自分で乗り越えれない困難なことは、起こり得るからなー

子育てしてて、感じます。わたしも、へこたれることはありえるなと。

 

脳、不思議なもんだ。

 

ガガさんは、なんか思いがあり、メッセージをだしたのでしょう。。。

読んだよ。ガガさん!

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