sosonson

ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

生きるって

生まれたら生きる。

 

わたしなんぞ、誰の役にも立ってはいないけどいることは責められてはいないし、ただただ生きている。

誰かの役に、何かの役に、立ちたいなあって思いはある。これは人の自然なのかもしれない。

そのわりに、誰かになんかしてほしいなあって他力本願なところもある。これも人の自然なのかもしれないなあ。

 

からだは元気です。ちょっと性格はへんこつ。運動もどうもセンスがないので、上手ではないし、何か人より特別できることもないし・・・

でも、ただ、生きている。

わたしが元気に生きていたら喜ぶ人もいる。

親はそうだと思う。親はわたしが悲しんでいたり、わたしが親が感じるにひどいことをしていたりしたら、きっとがっかりすると思う。

元気に、しかも前向きに生きていたら嬉しいはず。

そして、もし人の役に立っていたり、親が立派だと感じることをしていたらなお幸せになるはず。

 

でもそんな大したことはできてない、わたし。

 

ちょっと前にあった、悲しい事件のことをかんがえる。

うちの子も障がいがあり、ただ通園するだけでも迷惑な感じのことは多い。

まだ人間力をつけてる時期だから余計に大変だ。したいことがあったらすぐごねたりするから、電車やバス、公共の場で、パニックのようなことが起こると、結構迷惑になる。静寂を潰すから。今は小さいのの特有のこともあるが、障がいが起因してることもけっこうありそう。

 

まあとにかく、世間で生きる、閉じこもらずに生きる。には、ひっそりってのは難しい。皆さんに受け流してもらっていることがほとんどだ。

 

そして、皆さんのおかげで、困りごとがある子たちが集まっている今の園があって、訓練をうけるための場所もあって、将来できるだけ、皆さんに迷惑をかけないためにはどういう大人になって貰えばいいのか、わたしも必死だ。

 

できるとこまで引き上げたいと思う、それしかない。日々。

 

子供と二人消えてしまいたい。死ぬしかないのか? そんなことを思う日もある。

でも、わたしの親はどう思うかなと思うと、そんなことはやめてほしいだろう。

子供も、いやだろう。

本人は大変ながら、前向きに見える。少しずつ前進している。今はまだ小さいから、ゆっくりながらいろいろ会得している時期です。日々発見やら、できたが増えていってるから溌剌としてます。人生苦しいか?というと楽しそう。

だから私に痛い目に遭わされたり、苦しい苦痛を与えられたり、殺されたりしたくはないはずだ。

日々自分の楽しさを追求してるように見える。ワクワクしてる。

たしかに青年 中年となると、伸び悩むから、日々を生きるのがいまみたいにワクワクしていないかもしれない。

 

 

だからって、その年が来た時に、殺されるほどの悪いことをしているのかしら。

とても悲しくなる。

 

 

うまれたら、役に立たなくてもただ生きてきた。わたしはそんなかんじだ。

それでも責められてきたことはない。

 

お母さんになる前はずっと、そうだった。親はガンバらないわたしに腹を立てただろう、責めただろう。もっともっと自分のできることがあるかもしれないともがいてほしいと思っていただろう。イライラしてただろう。でも死んでしまえとも親からも言われていません。

仕事もそんなスーパーできるかんじでもないし・・・

キラキラ輝いて生きてる、何事もすべて結果が出てる!!!とかでもありませんでした。いまもそうです。

そんなうだつの上がらない人生ながら、殺されるわな、それじゃ。と誰も思わないだろうと思います。

 

 

いま現在は、障がいのある子を産んだことを責めるひとはいるのでしょう・・・

 

 

悲しい事件を起こした人について思うのは、もっと自分が楽しくなる生き方をしてほしいかった。

考え方は自分で育てていったのだから、それをこう思えとはわたしは言う気はない。

世の中の人たちが私たちを受け入れて、ともに共生していこうと思ってくれるのがわたしの幸せと平和だけど、彼がそう思っていなくてもいい。

 

実際に、いなくてもいいとおもっているひとはたくさんいてるのかもしれない。

多くの人たちは、それは言わない、それを行動で表すのはいけない。道徳というか、理性というか、いまの常識のような、規範のようなものを持って生きている。

そして、ひとの命の大切さのようなものを漠然と理解できているのだとおもう。

だから、そこの気持ちは深く静かにして、街で私たちのような人たちをみても、すぐさま潰しにきたりはしない。

 

許せないものから、距離をとってもいいと思うのです。それは、大事なことです。許せないからってやっつける方がお互いしんどい。

受け入れ難いことも世の中にはあるとはおもいます。

私の希望は、共に生きることだけど、それはあくまでも私の希望。

 

仕事は辛かっただろうし、辛さとお給料が自分の中では折り合いがついてなかったのかもしれない。

なかなか大変な仕事だろうから、同僚も辛そうに見えていたかもしれない。

障がいのあるひとが、自分らしく生きてると彼には見えなかったのかもしれない。

障がいのあるひとの行動がどうしても自分にとっては受け入れ難いものだったのかもしれない。

想像してるだけで、真実は、わかりません。

 

でも同時に、自分の幸せが何かを見つけてなかったように感じます。

 

自分が貪欲に幸せになろうとすればよかったのかなとおもうのです。

この仕事は頑張れない。って感じることは、後ろめたいことでもない。

別に仕事が自分の人生の主軸ではなくていいと思う。自分の家があって、食べれるぐらいはしないといけないから、仕事はするもんだろうと思います。でも、仕事=人生と思わなくてもいいと思う。

自分が保てないなら、無理して仕事は頑張らなくてもいいと思うのです。

距離をとってる間に、どう自分が生きるか考えるとき、きっと家族や友達の手助けは必要だから、自分だけの力ではなかなかだろうとおもうけど。

 

ひとを殺す前に、そういう方向に変わっていて、欲しかった。

 

私の子供も、私が死んでしまったら、施設に住むということになると思われます。それぐらいの重い障がいです。同じような障がいでも、自分で暮らしながら頑張る知的のレベルだったりの人はいると思います。

でもうちの子は正直、それはいまの感じだと難しいなあとおもいます。

そのときにできるだけ自分のことができたり、気持ちの折り合いがついたり、誰かの手助けができたり、できれば税金をちょっとでも返せるようになっていたら。を目標に、いまは親はできる限りをやろうと必死です。

でも息切れもしてます。だから、いろんな人、行政に助けてもらって、子供から離れる時間もあります。園にいってくれていて、とても助かります。

そんな立派に子供に対峙できてない時もあります。しかし別れるまでは楽しく。幸せな時間をいっぱい持ちたいと、必死です。大事に育てています。

 

多分人生で一番いまが無心で頑張ってる感じです。

 

かわいげのある愛想のある子に育ってほしいけど、なんだか、変人ぽいです。かわいくないですー・・・

 

ふー

 

そういうキャラのようだ。。。くそぉ・・・

 

自分で手助けを得ずに人生を謳歌できる人では残念ながらないです。手助けをもらってやっとこさです。いままでも、これからも。

 

だから、事件を起こした人については、元気に生まれたのに、残念な気がします。

うちの子と違って、人に迷惑をあまりかけずに、自分の人生謳歌できるかもしれない能力があるではないか!と思ってしまう。自分の幸せなに???って自分でそこをもがけるはず!!!ってこっち目線だとそう思ってしまう。

 

私の幸せ・・・

偉そうに書いたけど、私もあまりわかってないですね。

でも、ただ生きる。ことなのかなとおもっています。生きてる間に、いいこと、うれしかったこと、がんばったこと、そんなことを思うと、産んで育ててもらってこんな感覚があるんだあ。。。としみじみします。

そして日々しょうもないことでわらえたりすることが、いいなあとおもってます。

 

つらいことも、あります、自分の嫌いなところとかもいやです。

子供との生活は、? ? で、腹も立つので、事件を起こした彼から見ると、つらそうだなあー不幸そうだなあって思うと思います。でもそればかりが全部の時間を占めているわけではないです。

 

でもただ生きてるのだなあ。と。できたら人の役に立ちたいなと思ってます。できるちいさなことで役に立てばいいのかと思います。

人に迷惑かけずにいたいな。は正直むずかしいな・・・いまの人生。。。

広告を非表示にする