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sosonson

ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

別れのお勉強。

せっせと内職。

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お別れの勉強。させたい。

去年、担任の先生が産休育休でお別れしたとき、ナンノコッチャかわかってなかった息子。

訓練の先生とお別れしたり、自立支援サポートのボランティアさんとお別れしたり。いろいろとあったけどもまだピンボケ。

 

なんだかなー

何回も繰り返すしかないけど勉強させてあげたいなあとおもうかあさん。

 

今年は、終わる訓練の先生2人と、今年で定年退職された担任の先生には、いままで同様密に接する機会がなさそうなので、内職してもらいました。

そしてこれを別れのお花のアイコンとして、わたしてもらいました。

訓練の先生はいらなくても、きっとバラして受け持ちのこの訓練に使ってくれるしなとおもって、負担にならんだろうと思ったのでこれにしました。

 

これは、自立支援のサポートのときずっとつくってきたものを家でもやってみたものです。

 

これを教えるのにすごい自立支援のサポートのボランティアさんは苦労していたなあ。

見本を参照して作るとかそういうことが、ほんとうにできなかったので。あの年だと、たぶんできるんですね。定型の人は。ちゃれんじのエデュトイをみてると、それができる前提のつくりになっているので。

 

左右を見てやるのが難しいので、トランスパレントで真下に見本がくるようにしたり

手順のボックスを作り①の箱の中にお花 ②の箱の中にストローの軸 で分けて入れておいてそこから取り出す

とかいろいろ。

 

その取り組みを見て スモールステップとか どうみえてるとか そういうことをすごい習った気がします。

実際 バリバリ ティーチ!!ってしなくても、なんというか気構えというか。

起こってることをバラバラにバラして一回考えてみるとか〜

 

宗教みたいにはハマらないけど、でもなんかね、学問ってそんなものだと思うのです。デフォルメして理論してから自分の味付けにしてもいいと思うのです。
フォームをちゃんと習ってから自分のやり方に改造するみたいなかんじというか。

 

 

さてさてそのレイを

それをわたしは最後にもらいました。

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それからもうだいぶたつけど、せっせと内職。

 

そしてまず先にお別れがきた言語の先生に渡してもらいました。

2歳すぎからずっとみてもらっていて3年。お別れがきました。ご本人わかってないと思うし、このレイは自分のものと自分がつけようとしてましたね〜

ははは。

 

そして次に、担任の先生に。

別れの意味はわかってないしこの花の意味もわかってないけど、何回かかってでもいいので、もう会えないこと、おせわをしてもらってたくさん助けてもらってありがたいことだよ。と、教えてあげたくて。というエクスキューズというか自己主張もして、かけてもらおうとしたら、やっぱりじぶんにかけました。

でも誘導して先生にかけました。

先生は微笑んで息子をたたえてくれました。上っ面でもなく本心な感じでした。

子供が大事で大好きで包むような愛情を注ぐ先生。

わたしのやり方が先生からすると子供に対していいのか不可解でちょっとギスギスしたこともありました。

しかし、最後の挨拶で、先生の意図も改めて理解できました。そんな壮大なテーマの中で頑張ってもらって感謝の念も自然に湧きました。

先生は集団のつくりかたのようなのをテーマに学生時代勉強してそれを保育で実践してきたそうです。

このクラスのいいところはみんなで遊べること。っていうのがよくでてきていました。

 

わたしが普通の園に入れたいっていうのを統合の視点から話しても、それは普段の近所の友達と遊ぶときやら園庭開放にてしたらいいみたいな意見でした。

そこでちょっとギスギスしました。

先生の考えもよくわかるし正論だけど、わたしの意図も正論。どっちがその子にとっていいのかはやってみないとわからないし、そのときどちらにしても何かは捨てている。

そんな感じな思いはいまもかわらないけど、先生が大事にしてたものを薄々かんじていたことが最後の彼女の挨拶ではっきりして、それも生きていて大事なことだから、理解が深まりました。その恩恵に感謝も深まりました。

 

にしてもどこかを選択するときって、どこにプライオリティーを置くかだけで、何かは失っているのだと思います。

単純にそれだけ。

全部欲しいは無理。だから 白か黒かなんてないのだ。自分で納得して決めるだけ。誰かのせいでもなんでもない。

 

 

さて、そして最後に、感覚統合の先生とお別れのときが来て、そのときは自らレイをつけずにせんせいにかけれました。

 

いずれの先生たちとお別れするときも

 

先生と遊ぶのは今日でおしまいなんだよ。さようなら ありがとう の挨拶をします。
お花をありがとうの気持ちで贈ります。

 

と声かけをしました。きもちをこめて。

 

ちょっと何か感じてくれてたらいいな。とおもっていたら、帰りに 自分の名前ちゃん といいながらレイをかえせみたいなことをしました。

 

先生はよーく息子のことをわかっているので、

 

いややぁ これ 先生がもらったもん。かえさないもんね!と言ってくれました。

バラして手先の訓練とかに使ってください〜!

というと、そんなもったえないよー大事にしますよ! とおっしゃってました。

 

が、いいのですいいのです是非つかってくださいな。

たかがものー。。。色即是空。 一方通行の気持ちがいくだけのやりとり。永遠でもなんでもなく。そのときだけのもの。

気持ちを受け取って!!!!のもの。

 

先生は必死だったとおっしゃってたけど、たくさん回収してくれたところがあります。どうか自信を持ってください!

おもちゃを持って見せたいってしたのは 先生と、言語の先生(すしかたちパズルを持って行きました)の二人だけでした。

 

毎週体の訓練やっぱりうけたいなあ。

 

とおもう、おかあさんです。

 

心の勉強いつできる段階に来るかわからんが、まだまだ体の訓練だねほんま。

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