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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

みんなの幼稚園

就学前の子たち向け幼稚園の保育にでかけました。

 

肝を冷やしたけど行けてよかったです。

というのも、出席のとき自分の名前を呼ばれて立ち上がり先生のタンバリンを叩くタイミングで地面の砂をつかんでお友達に投げました。

原因がわからない。

たのしくてテンションがあがったから?と先生は後で聞いてくれました(わたしの友達も帰りであったらそう言ってました。そういうこともあるのかね。ASDっこは)

泣いてた子が多かったのでムカついてた?

大分待ってから始まったのが気に食わなかった?

あさ、オモチャの部品が取れたからオモチャをゴミ箱に入れた(自分なりにやりたいことができないから、ゴミ箱行きだったのかな?)それをわたしが結構違うんだと叱ったのがたまってた??

ちょっとやってみた?

 

まあわかりませんがやったらあかんことはあかんです。

 

まずはその場で子供達にあやまり、親御さんにも謝り、本人の両手を握って顔を見てしっかり注意した(とどいたかしら)。そしてごめんなさいをいうように促し言わせました。

「ごえああい」としか発音できませんが、そう音を発してくれたので、タイミングで、頭をぐいっとわたしの手のひらで下げさせました。
本当に形ばかりだけです。

 

お母さんたちと先生の空気は凍りついていて、わたしは統合教育的なことをさせてあげたいなあとおもっているけど、自分の思いだけでは世の中には受け入れてはもらえないと思ってもいるので、辛い気持ちになりました。

まあ行きたいって言ってもダメって言われたらそうだよね。と。

 

 

また、設定遊びについても、なかなか何をしてるか理解をできていないので、
やれてはいてませんでした。

また、自分がわかっていないので退屈になるのかな?自由に遊びたいからそうしようとしてわたしには、そういうときは見るのがすること。と促される。そうすると、辛抱はせず癇癪をちょこっと起こしたりもありました。

 

彼の現実です。

 

しかしながら、自由時間には園庭で在園児さんが結構かかわってくれてたくさん体験がひろがりました。

近寄ったら花の水やりをさせてくれた子がいました。

玉入れに参加したら玉を何度もくれた女の子たちがいました。ありがとうの練習ができました。

縄跳びの縄でいっしょににょろにょろして遊んだ子もいたし

サッカーをしてた子たちと並行であそびました。ルールは正直まだまだ先の理解の話ですが、ドリブルは得意なので横で蹴っていてもその子たちもまあ許して混ぜてくれました。

うさぎのお世話もみんなでしました。

幼稚園児ぐらいの定型の子たちは割と寛容に混ぜてくれたり、お世話もしてくれます。小学校になったら皆さんも賢くなっていくから、障がいのある子との、棲み分けがはっきりして、関係性はかわるのだろうけど、いまはまだまだ屈託無いので助かります。

うちの子は一人でいるのは苦では無いしむしろ気楽のようで関わりがなくても困ら無い。むしろだれかがきたら気が向くこと以外はドキドキです。

(ひとりが気楽と言っても、寂しさも知っているような節も見えます。どうしていいのかわからないなあってのもあるように見える時もあります。完全無欠みたいなほど崇高なわけではないのです。ただただ、疎い。ほんとに。
正直言って、人とは適正に関わるものだ。って洗脳したらわかりやすいかも。)

誰かがきてくれなきゃはじまんないところが親から見てるとあるので、自由時間ぐらいは、定型の子たちにまぜまぜを体験させてあげたいものです。

しかし設定保育の時間はやっぱりレベルがつらいところです。

そもそも理解のレベルに合って無いこともたくさんあります。が、定型の子がわかる言い方、見せ方ではどうも掴みにくいけども、わかる表しかたができたら、意を掴み状況や手順を理解する場合もあります。

その意味では、こういう言い方したらわかる。を実践している今の特別に支援が必要な子たちのための園みたいなところのほうが向いているのかなあと思います。

その支援を捨ててでも統合教育へ転換するか、そういう設定保育の支援的療育的なところを優先して、定型の子に混ざった自由遊びの刺激で得られる発達への促進をあきらめるのかがわたしの悩みどころです。
あとは、いまぐらいしか混じれないからなあ。。。ってのもあります。

 

でもどの子も安全に保育をしてあげたいっていうのが、受け入れる側にもあると思うので無理も色々言えません。

悶々です。

 

自分が目が届くところだと、周りの子の安全にもわたしの裁量ではあるけど、配慮できます。

いろんな子に関わるのはさせてあげたいから、本人が嫌でなかったらみんなの幼稚園やら園庭解放に出向けたらいいなあ。

 

結局おべんと広場もいて、ちょこっとその後園庭解放もいてSIの訓練に行きました。

 

 

もー盛りだくさんのことがあり、お疲れモードで帰り道に、なぜかいつもわたしの背中をグイっと押す友達に出会いました。

なんでかピンチのときに偶然であいます。

みんなの幼稚園で他の子にすな投げた!って吐露すると、保育園におなじようなつまずきのある子を入れた友達は「あはは。なげたったんやね〜」と息子の手をニギニギ。

彼女の息子さんも最初それをしたよ。でもいまはしないよ。

いろいろあったなあ。って笑われました。

ん?

次の課題があるね。

どんなプロセスをへて、やったらあかんことを伝えれたんだろう。また友達に会いたいな。

 

さて、いつもおもうのだけど

理由探しはする。どんな子なのか知るために。

そしてダメなことを伝えて教える。いつかなくなるようにする。

この二つがやることやわーどやってやるのかを考え、試行錯誤するのが時間食うのだけど。

 

本音としては、今日やらかしたことってやっぱり疲れます。

誰かを怪我させたりする危険も困るし、お母さんたちの白い目もけっこうつらいです。
でも、やっぱり悪いことを叱ることの経験を増やさないとなおらない。

できるときだけ頑張ろう。

 

 

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