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ID/ASDっ子 母が何を考えたか健忘録 思索は変わっていきます。書いて、考えたい。書くことが発散。もやもやをつきはなしていきたい。

先生と話す。

先生と話した。

先生の思っている息子は、私たちが思ってる息子より、成長が遅い認識でした。

もっと子供が先生が思ってるより分かってると思うってはなしをしたらと同行してくれた夫に言われたのだけど、

うちの子は先生が思ってるよりできます!みたくヒステリーにいってるお母ちゃんだと思われても疲れるから、無意識に控えめな表現になってたようで、夫はそれが気になってたみたいです。

自分の現場主義だからね、先生は。

いくらわたしがわかってるよーって言っても自分でその体感をしない限り親の甘い期待や勝手な望みみたく思うところはあるでしょ。

しゃあない。結果がその人の確信だからね。 

息子は本領を発揮してないのだな。息子次第だからなー。と思いました。

一対一のセラピーの先生たちや音の先生には、たくさん気がついてもらってる親との同じ発見があります。

セラピストの先生に「きみよくわかってるのに損するよー」って声かけしてもらったことがあり、ちょっと嬉しかったことがあります。

でも集団では、なかなか自分が出せれてないのだな。それが苦手なんだな。
と感じました。

それを受け止め、認識を忘れず、子育てしたいなと思います。

 

まだまだ親や、個人的にかかわる大人が安心なんだともいえよう。

…んーしかし、たぶん、集団は、成長しても苦手かもな。とうちゃんも、かあちゃんも苦手よ。

 

集団でハッチャケれないならそれはそれで、自分を生かすスタイルって探したいです。
集団になんとなく合わせることも試みつゝ〜

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わたしはいろいろ子供の可能性をのばすためと、児童発達支援の先生たちのような立場で接せれない時間に追われていたりすることもあるので、テクニックも身に付けたいのもありそちらの勉強も頑張ってやろうと貪欲に思っています。

 

だから構造化のことだったり、応用行動学みたいなのも、困ったときや、子供がすぐに気がつかないときは取り入れたりしながら、その手立てを間引いいていく感じでやろうと思っています。

 

担任の先生は、構造化にはちょっと冷たい感じがします。

どこに行ってもちゃんとできるように!どこもそんな風にはできてない。
お母さんは構造化にこだわりすぎと判断です。

わたしも先生と同じようなゴールを目指してるのだけど、いろいろと目移りしたりする子だから、普通の子育てをしてる人が呆れるような「いまやるべきことはこれ」「どうやってやるかわかるような提示の仕方」って方法からはいって、いつかハッと気がつくときまでの道標みたいな意義でやっているつもりだけど。。。

 

最終ゴールは誘惑があっても、構造化されてない場所でも、できる。なのです。

どんな発達障がいのお母さんもそう思ってると思います。そして、障がいの特性を理解して支援する人もたくさんいます。ずっとずっと同じ支援をするのか?そんな平坦な育児のお母さんはいません。子供も変わります。

構造化のスモールステップを外してもできるようになるのが目的です。

が、わかってもらえてないなあと、痛切に感じました。

 

その子の理解するときまで待つ。っていうのが先生の信条みたいです。
焦らない、待つ。と必ず言われます。
合ってるとは思います。でも臨機応変に。待ちながら何かわかるような提示の仕方をしてもいいのかな?とわたしは思ってそれが信念です。

まだ早くてわかってなくてもわかったときに繋がるかもだし、早くに気がつくかもしれない。と思ってやってます。

やってもやらなくてもその人のそのときが来るまで同じ。そういう見方をしてはるような気がします。(確信ついてるとこもあるけど、それは親が後悔する育児になる可能性があることを知っていて欲しいですね。)

 

先生はきっと過去にそういったルールにこだわり縛られてたお母さんに会ったことがあるのが経験値になっているのかな?

あまり理解を得にくい印象です。

春であったときから、その空気感にんー?とひっかかっていました。

先生に受け持ってもらったお母さんと話をしたとき、応用行動学を生かしながら般化をしたいっていうのお願いしたら、わたしそういうのは嫌い。と言われたと、おっしゃってました。

 

んー

 

しかし先生が抵抗あることが、いまはスタンダードに勉強することなようです。

 

わたしはすごい安心しました。
えー!!!何年か後のちびっこのほうがええやん!と。

 

先日、最近の教職や保育士になる学生さんたちは支援教育についてどんなことを教わっているのかについて現場の先生に話を聞く機会がありました。

構造化のことだったり、応用行動学みたいなのも、利用していく向きでそこも勉強するのが普通のようです。

年配の先生が勉強したときと、支援のムーブメントもちょっとかわってきているかんじのようです。

どうもうちの担任の先生はそういうことを宗教にハマっているお母さんのごとくに感じている雰囲気です。

 

担任の先生は、わたしの印象は包み込む育児。。。その実践。みたいなかんじです。

 んー。。。

わたしが見ている方面のことって、案外、保育士さんや教職の人たちが、これからのスタンダードとして習ってることで特別なことではないし〜

と、おもうわたしです。
ジェネレーションですかね。。。

 

若い子たちにとっても期待。早く現場に生かされるように願います。

でもその一方で自分のやりかたの信念はもとう。

なんとなく自分が出会う、子供が安定していたり抜きん出てるようなタイプの子のお母さんって、意外と先生が否定するようなことをこっそり頑張ったりする人で、一見柔和にみえて頑固にそこは曲げてない人が多かったから。。。

 

育児のオールは自分で漕ごう。

先生は先生。わたしの意のままのロボットではないし、自分にない経験で何か見えてる光はある。

先生と母さんはやり方は違うけどゴールは一緒。それでいろいろやってくれている。だから子供はハッピーだね。

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